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モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

随筆

シールの世界

シールが好きです。幼き日より壁にシールを貼りまくって叱られていた私はその情熱を静かに、しかし絶やすことなく灯し続けてまいりました。 私が小学校低学年の頃、級友の間ではシールの交換が流行していました。各々シール帳なるコレクションノートのような…

一月二日

久しぶりに祖父に会った。彼が私のことなどどこの誰かも分からなくなってしまって久しい。積極的に言葉を(声として)発することもない。ベッドの上で穏やかにうたた寝していたところに私は顔を見せた。 「こんにちは」 まるで他人行儀な私だ。 祖父との想い出…

一月一五日

早く起きて散歩した。むちゃくちゃ寒くて後悔した。けれど体を動かすことに意義があると信じた。寝床は底なしの沼であり足をすくわれる前に抜け出なくてはならない。引き抜かれた直後のマンドラゴラが如き悲痛な呻きとともに目覚め、なんとか奮い起たせた鉛…

墨流し

もう日が経つけれど、万年筆を洗った。どうやら万年筆は折にふれて洗わないといけないということでやってみようと思った。洗う万年筆は二本。誕生日に買ったペリカンと、その前から持っていたエルバンの安いやつ。ペリカンは吸入式といって尻のノブを回して…

英語の先生

大学の受験を控えた私に得意な科目などなかった。強いて挙げれば現代国語がなんとなく読めるだけであとはからっきしだった。そんな折に私は一人の恩師と出会う。その人はもともと私が通った学習塾の講師でなんやかんやあり独立されたのだけれど当時の生徒を…

六月二六日

はじめての読書会。一応何回か読んでノートにまとめたり、持参した件の課題本や同作者の別作品も一度と取り出すことなく終了しました。この「はじめて感!」。 読書会一割、身の上話九割。これは友達とお酒を飲んだだけでは?という問いに対して私はこう答え…

六月一八日

一通りの予定を終えて帰る道すがら。向かいからやって来たご婦人に呼び止められる。道でも聞かれるのかと思いきや、待ち人来ずで浮いた地下鉄一日乗車券、それを私にくれるという。申し訳ないんで、もう帰るだけなんでと言いかけては両手を持ってそれを手渡…

六月一二日

父の日、そんなものは初めからなかった。そう考えて自分へ万年筆を贈った。それが意外に早く届いたため、気を抜いていてインクを揃えていなかった。折角手元にあるペリカンの万年筆を私は眺めたり、しゃぶったりしても良いか?と問い理性で諌めたりすること…

六月四日、六月五日

誕生日でした。路の節目も三度目。その十一年早く生まれたアンジェリーナ・ジョリーも一つ年をとる。アンジー、おめでとうございます。 折角だから特別なことをしよう、そんなふうに考えてもなかなかどうして生活のリズムとは変えられないもので借りっぱな…

大冒険

昔、小学生だった。小学生だったのだ。ツラい。それはさておき小学生だった私は授業の一環として創作紙芝居を作成する機会を得た。私はこの頃からそういうことが大好物で、宿題に感謝したのは後にも先にもこの一回である。私は早速取り掛かった。下敷きにし…

五月二一日

朝起きると借りたまま見ずに放ったらかしたDVDが返却期限と思い出し再生。そのまま眠る始末。俄かに昼過ぎ。それとない考えを信頼する人に話した。聞いてほしかったのか何かよくわからないが自分の弱りを感じ、それを笑える程度には元気が残っていた。 いろ…

名前はダンディ

大学生で始めたギター。第一志望通らなかったし遊ぼうと思って爺さんからもらった祝金を殆どはたいて買った。楽器に名前をつけてやる。そんなことが内輪でちょっとブームになった時、私は口に出さなかったけど「フロノタイルダンディ」(上記写真)にした。ボ…

好きな映画の話 その3

ーどうして雪は降るの?ーーそのためにはまずハサミの話をしなくちゃねー 老婆と孫の会話である。どうして雪にハサミが関わるのか。それは『シザーハンズ』を見なくちゃね。 私が初めてこの映画を観たのはまだ十代。思春期といって、後々の歳をくってからで…

五月四日

同窓会のため帰郷。段々と田舎めいてくる電車の窓越しに見る景色。イヤホン越しに流したBob Dylanの『Don't Think Twice It's All Right』が見事に溶ける。殆ど人のいないプラットホームが優しい。 まだ会まで時間があったので車を走らせ近くの大型スーパー…

好きな映画の話 その2

デヴィッド・リンチという監督は有名です。しかし私は彼の代表作とされる『イレイザー・ヘッド』であったり『ツイン・ピークス』を知りません。後者がテレビドラマであることさえも知りませんでした。 私が知る唯一の彼の作品、それが『ストレイト・ストー…

四月二四日

同級生(と後輩)に会う。皆、今や散り散りに暮らし多忙の日々を送るゆえ中々会えない間柄であるが、会えば何も変わっていない(身てくれは別)。軽音楽という部分での繋がりから縁を持ち、それが今でも続いている。久々にスタジオに入り楽器を繋いだ。私は機材…

教室

長生きに執着はないけれど老いには幾分か興味がある。それは日々の疎ましさなどといったいつの齢であろうとつきまとう観念とは違ったところで、その歳にしてしか感じることのできないものへの興味である。 私はピアノを習いたい子供だった。けれど親に言わ…

日常と期待

漱石は、高浜虚子『鶏頭』にて寄せた序文の中で小説内の余裕について語る。余裕のある小説というのは漱石曰く以下のようなものである。 “余裕のある小説と云うのは、名の示す如く逼らない小説である。「非常」と云う字を避けた小説である。不断着の小説であ…

シティライツ

全ての意欲が消滅した時、私はTSUTAYAに駆け込み、しばしの思案の後に一本映画を借りて帰る。 家に着いた私はそのまま寝る。深夜まで寝る。日が変わらないうちに起きてしまったら二度寝する。それは三度寝になるやもしれない。何度だって寝る。深夜になるま…

アレルギー持ちの愛した猫

ふとましい猫だった。犬かと思った。幼い私は猫アレルギー。死と隣り合わせだった。母方の祖母宅で飼われていた雌猫。腹を引き摺って歩くは女王の風格。 祖母の家に訪れると鼻水と喉の痒みが止まらないので正直行きたくなかった。それでも猫が嫌いなわけで…

曲がり角の因果律

ハニワを飼っていた。というか今も実家にある。祖母の遺品だ。母の実家を整理している時に「これをくれ」と言った私だ。当時十代にもならない私は『ハニ太郎です。』という漫画にハマっていた。下品な漫画である。ガキの喜びそうなウンコとかがいっぱい出て…

他力本願

年明けに「読書頑張りたいですね。ユリシーズとか」などと言っていた私は死にました。あれから3ヶ月と少し、未だ一冊とて最後の頁まで捲れずに読み散らかした数冊。バイキングレストランで調子に乗った私です。 悠久の中で忘れ去られた山の頂二歩手前に小さ…

四月三日

四月三日。エドワード・ゴーリーの作品展に行った。自発的になら行かなかったろうと思う。誘っていただいて結果よかったということが多々ある。自分の視野の狭さに呆れながら塗り潰せる余白の多さは楽しみとしてたくさん残っているのだと思った。 その日も…

深淵

小学生の頃、太った友達がいた。彼は今では痩せていてフィアンセもいるという。そんなことはどうでもよくて、話をその小学生の頃に戻す。別に羨ましくなんかない。結婚というのはそれぞれタイミングだ。とにかく時間を巻き戻す。だから強がってるわけじゃな…

詠みと読み -榛 瑞穂の短歌に寄せて-

完璧がこの世にあると知った日に僕はひとりで砂を食べてた|榛 瑞穂 https://t.co/TvlM4qWbI9 #jtanka— 榛 瑞穂 (@maimaitsuburo_2) 2016年3月6日 榛 瑞穂さんが詠まれたこの短歌。私はこの歌を初めて目にした時、筆舌に尽くし難い良さを感じた。筆舌に尽く…