モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

花よ恋々猪鹿蝶

 可哀想な子。俺はそう思った。帰宅部のあいつが膝にサポーターつけてる、しかも常時つけてるのは如何ともしがたい違和感があったが、どうやら開き直ったあいつの膝は芋だった。猪上タミ子。俺はあいつが幼稚園の頃からの付き合いで、といっても友達未満の知り合いニアリーイコールだったから殆ど喋ったことがない。けれどあいつの膝が膝たる膝だった頃を知っている俺としてはやはりいたたまれない思いがある。開き直ったあいつは強く気高く痛々しい。別に普通だ。とても普通。周りも普通。ただ寸分の気遣いとあいつの強がりがほろ苦い。変わってやりたい。何故だか俺はそう思う。
「ハラミー!見て見て!もうね、芽凄い!芽が凄いよ!もうね、四足!四足だよ!あああぁぁぁ……」
「ターミちゅあああん!!」
 クラスメートの孕鹿麻衣美による献身的なケアによって猪上はなんとか自我を保っていた。周囲には憐れみこそあれど猪上を差別したりはしなかったが積極的接触を避けて通る中にあって孕鹿こそが猪上最後の希望だった。以前は《孕鹿さん》だった呼称が今や《ハラミー》とそれを物語る。
 孕鹿はクラスではわりかし浮いた存在で猪上がこうなるまでは「荒野のアントラーズ」と呼ばれていた。俺は孕鹿の態度を尊敬した。決して猪上の見てくれは気持ちのよいものではない。それでも皆が最低限彼女をクリーチャーではなく人間として認められたのは孕鹿の態度につきる。俺も、俺もそうありたいと思った。
「ハラミー、学校終わったらさ、ケーキ食べに行こうよ!わたし美味しい店知ってるんだ。膝いわしちゃってからは行ってないんだけどね」
「タミちゃん、行こう。あたしがいる。あたしがいるからモンブランでもガトーショコラでもなんでも来いだよ!」
「ふふ、ありがとう」
 猪上が笑うのはいつも孕鹿の前だけだ。以前はそうじゃなかった。猪上は人あたりがよくチヤホヤされるタイプだったが膝がジャガイモになってそれが踏み絵になり八方美人は埋葬された。ただでさえ接点の薄い俺はもはや猪上の視界から消えていたろう。人間性を見透かされている気がしたと同時に猪上の本心が垣間見えて遣る瀬無い気持ちだった。今しかない。今しかないと俺は思った。
「猪上さん!俺も行っていいかな?」
 二人の視線が俺に注目する。誰?って具合がありありと伝わる。背筋が震える。アリクイの舌が耳の穴からスルスルと入ってペロンチョされている気分だ。
「やだよ」
「やだよ」
「え?」
「だからやだよ。何で蝶番がついてくるわけ?あんた部活あるんじゃないの?卓球だっけ?サーッ!とか言う練習とかあんじゃないの?」
「え?」
「蝶番くん、女の子には女の子の矜持があるの。この数メーターの距離の間に越えられない壁があるの。梯子掛けたって土嚢積んだって越えられない壁がね」
「そ、そう。だよねー……ははっ」
「ピンポンがんば。じゃ」
 二人のスイーツに高まる期待はまだ咲かない桜を散らして鮮やかに春一番。俺が卓球部だってことを知ってくれていた。なんだか馬鹿にされた気がしないでもないけれど俺が卓球部だって知ってくれていたこの事実に、そしてモブAでもBでもなく蝶番と呼んでくれたこの事実に俺は胸が張り裂けた。赤い実、はじけた。
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