モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

深淵

 小学生の頃、太った友達がいた。彼は今では痩せていてフィアンセもいるという。そんなことはどうでもよくて、話をその小学生の頃に戻す。別に羨ましくなんかない。結婚というのはそれぞれタイミングだ。とにかく時間を巻き戻す。だから強がってるわけじゃない。たまたまそういう境遇にある友人がいるというだけでさも恨めしさと捉えられるのはいかがなことかと思う。つまりまだ十代に満たないあの日、彼の体操着が無くなった。小学校という場所に限らず、誰かの所有物が唐突に無くなるというのは事件であるが、小学校ゆえに小学校として扱われる紛失事件には特有の緊張感があるように思われる。体操着が無くなった。下だけ。例えばこれが給食費というのはフィクションにもよく聞く。体操着、これは例として無くもないだろうけどあんなデブの体操着欲しがるなんてどこの変態野郎だ、と当時の私はそう思った。彼の証言によれば三限目の体育の授業の時には履いていてそれから袋にしまったという。少なくとも彼の記憶を信ずるならばこれはもはや故意による犯罪だ。そこで緊急にクラス会が執り行われ犯人探しが始まった。

 誰も名乗りでない沈鬱とした空気が教室に蔓延する。犯人はこの中にいる。なぜなら教室に誰もいない時は施錠されていたので別のクラスの生徒が彼の体操着袋に手をかけることはほぼ不可能なのである。となれば休憩時間を利用してこのクラス内の変態がそれを盗んだと推理するのが妥当である。私は傍観者として辺りを見回した。なぜなら全く身に覚えがないから。おいおいどこのどいつだオランダだ?デブの体操着フェチのド変態さんはよ〜?といった具合である。目を閉じて正直に挙手せよと担任が促すも誰も挙げない。私も薄目を開けて確認した。同じく薄目を開けていて目が合ってしまった女の子がいてちょっと好きでした。

 結局犯人は見つからずじまいでクラス会は解散した。やはり小学生としてこのような羞恥心を晒すことは耐えられないだろう。ウンコを漏らしてくま牧場みたいな臭気を放っていようと「漏らしてない!」と言い張るのが小学生たるだ。下校した。母親が洗うから体操着を洗濯カゴに入れておけという。はいはい分かりましたよ、ところで今夜のメニューは何ですか?と体操着袋の中身をおもむろに掴みとりカゴに投げ入れようとした利き手を二度見した。ズボンが二つある。広げた。私の名前が油性マジックでふってあるのを確認しそれをカゴへダンク。もう一つ。馬鹿にデカいそれは馬用かと思った。「バカな!」それは紛うことなき太っちょの彼の体操着だった。エンガチョ!エーンガチョッ!その忌まわしき馬用のズボンを私はそそくさと自室に持ち帰りナイロン袋にツッコんでビニテでぐるぐる巻きにしてダストシュートした。人間の即時的判断の限界を超えた気がする。息を吸うように隠蔽した。

 今でも分からない。だって盗った覚えもなければ趣味もないんだから。陰謀論が囁かれる。アメリカが宇宙人の存在を秘匿するように体操着を葬った私だ。そして未だにその事実は闇の中だ。......とりあえず言えることは「幸せな家庭を築いてください。かしこ」

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