モンターグの貸出票

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教室

 長生きに執着はないけれど老いには幾分か興味がある。それは日々の疎ましさなどといったいつの齢であろうとつきまとう観念とは違ったところで、その歳にしてしか感じることのできないものへの興味である。
 私はピアノを習いたい子供だった。けれど親に言われて通ったのは近所の水泳教室である。それはそれで有難いことと今は思う。嫌々に習う幼き日の習い事が生きてくるのはほどほど大人びてからであろう。しかしピアノを習いたい子供はもう子供でなくなって、それはもう叶わぬ夢であると、諦めも通り越して忘れつつあるものである。
 老化は幼児退行と聞いたことがある。頭が呆けて言葉もおぼつかないのは赤子のそれに近づくのだと。しかし身体は皺くちゃの爺婆で違う形の愛嬌ではあるが。兎も角働く力も失って後は星になるのを待つ身とすれば幼き頃の夢を見るのも良いかもしれぬと考える。それほどに持て余した暇である。
 自分よりほど若いピアノの先生に手ほどきをうける七、八十になる老生徒。まわりにいる可能性という名の子供達から馬鹿にされながら目をすぼめて黒鍵と白鍵を確かめていく。才能はもとより可能性などとうに失せた野心のない老趣味は想像だけにして優しい世界に思う。
「指をもっと広げてください」
「曲がらんのです」
「それじゃあ子供達に追いつけませんよ」
「足は速く走れぬほうで」
「屁理屈ばかりは達者ですね」
「じじい、下手くそだな」
「ゆっくりやりますよ。死ぬまでの暇つぶしですから」
「おじいちゃん、バッハ弾ける?」
「バッハは多分無理でしょうな。猫踏んじゃったがやっとでしょう」
モーツァルトは?」
モーツァルトは猫踏まないよ。教えたげる」
「踏むかもしれませんよ。でも……ありがとう」
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