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モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

ビビアンドスーザン

創作

 三人の少女が自転車の速度を上げながら向かい側からやってくる。喫茶店の前で交錯し、自転車を停めた彼女達は「今年もオレンヂジュースの日」みたいなことを言って店に吸い込まれた。刹那に横目でうかがった彼女達の表情は若さゆえの快活さと何処とない寂しさを同居させているように見えた。

 オレンヂジュースの日、それは何だろうかと考えながら、気温も暖かくなりつつある季節に似つかわしくない厚手の黒装束を引き摺って女はひた歩いた。曇天の下、傘を持たない想像力が女の不器用さを物語る。
 
 神田尾々(かんだ びび)イズグレイトフルデッド。スーパーゴーストカミカゼアタック、街の地縛霊。
 斉藤スーザン蝶胡(さいとうすーざんちょうこ)トゥエンティスリーイヤーズオールドイズシャーマンモダンタイムスイズフェイク。エロイムエッサイムエコエコアザラクテクマクマヤコン揖保乃糸
 二人の出会いは唐突だった。スーザンが雨降るアーケード街の入り口でずぶ濡れになりながら水晶玉(ガラス)を擦っていると電信柱の陰に白い靄を発見する。それこそこの街に長くから存在する古の精霊ウソカマコトカであったのを新参の地縛霊神田が始末した瞬間だった。この際これ以上ウソカマコトカの説明は不要である。何せ最早この世にそんなものは存在しないのだから。スーザンは少し嬉しかった。自分には霊感もなければ霊能もない。どちらかと言えば所謂詐術の人である自分に初めて訪れた心霊体験であったから。神田が古霊を吸い込むとちょっとだけピンクに光って再び透明に戻ろうとした。
「ちょと待って!」
「はあん? 」
「あなた幽霊なんでしょ?私のゴーストがそう言ってる」
「失せろ豚!いや、失せたいのは俺か……失せるから失せろ豚!角煮!ラフテー!」
「待って!話を聞いて。私は見てのとおり占い師です」
「山でトリュフ掘ってろカス!」
「山でトリュフ掘って儲けたいわ畜生!そうじゃなくて私と儲けませんか?」
 スーザンは愚かしくもこの凶暴な霊を使役しようと試みた。千載一遇の機会と見て人生一念発起のターニングポイントと。
「俺には最早金銭の概念など必要ない!死ね!いやお前みたいなのと同列はやだな……生き続けろ豚!」
「豚豚うっさいわ!ぽっちゃりだわ!おねしゃす!私、もう米粒数えて炊くのヤなんです!」
「……」
「お金以外に欲しいものはないんですか?」
「……」
「私がそれを代わりに調達しますから」
「……」
「……」
「……」
「オイコラ!成仏の準備始めるんじゃねえ!!」
 神田は言った。「それなら会わせて欲しい人がいる」と。スーザンは誰かと聞いた。今はまだ言わないとのことであったが、神田はその日を境にスーザンのビジネスパートナーとしてスーザンの背後霊になった。
 
 死後の世界、その是非については経験則を持たない人々であるからその存在とは考えてみても答えがない。ただ稀にこうして現世にその知識をもたらす者がいる。神田は幽霊であり元生者で「死後」とは何かを体現していた。行き詰まりを感じたスーザンの妄想という可能性もあった。しかし二人にはそこは問題ではない。スーザンは常に神田を意識できた。神田が在る。スーザンにはそれで充分だった。
 最初の依頼者は女だった。依頼者は旦那の浮気を突き止めてほしいと嘆願した。霊能力を陳腐な諍いに用いることを神田は躊躇ったがスーザンは信用は積み重ねとしてこの依頼を受けた。スーザンの神田へのポテンシャルの期待から掲げた「何でもやります」という看板のおかげでそれは霊媒師というよりは探偵業務に近かった。
「あの人ですよ神田さん」
「へえ」
「ちょっと!初めの一歩!大切に!」
「知らんがな!なんでしょうもない浮気調査なんぞせにゃならんのだ!」
「いずれはアメリカ大統領の命さえ左右する世紀のシャーマンになる私です!今は下積みと堪えてください!」
「……。で、どうするつもりなんだ?」
「どうするって……それは神田さんの」
「帰るわ。ロケットビーバーイ」
「待って待って!とりあえず怪しい瞬間まで尾行しましょう。普通ならまっすぐ帰るところが自宅とは真逆の道。これは臭いですよ」
「風呂に入ったのか?」
「私のことじゃないです!」
 男がたどり着いたのは某住宅街の一軒家。玄関先で女が出迎え荷物を預かった。そのまま二人は笑顔を交わし家の中に入った。
「ビンゴォ!ビンゴすわ!」
「どうする?乗り込むか?」
「神田さん、行ってください」
「は?」
「神田さん実体ないでしょ?スルスルーって行ってチャチャッと」
「さて、成仏の時が来た」
「アカンて!私が行ったら不審者でしょうが!現行犯抑えるためには神田さんの力が必要なんです!」
「他人のプライバシーを侵害しないのが俺のポリシーだ!」
「ポリシーポイ!ポリシーポイして!」
「ポリシー拾う!ポリシー集めてマウンテンバイクを貰うんだ!」
「マウンバなら成功報酬で買ったげます!頼む!オネシャス!」
 スーザンは泣いていた。神田は思った。自分はこの惨めな女に恨まれて殺される。既に死者たる自分にそういう気迫を与える女を末恐ろしく思い渋々住宅の壁をすり抜けた。二十分して神田はスーザンの元に帰還した。
「どでした?」
 男はその日ついぞ家から出て来なかった。
 
 早速スーザンは依頼者に調査内容を報告した。女は泣き崩れうつ伏せた顔を再び上げたそれは修羅だった。
「殺してやる……ぶっ殺してやる!」
「まあまあ落ち着いてください。とりあえず次回で決定的証拠を抑えます。裁判で勝てなければ意味がありませんからね」
「どうでもいい!その事実で充分よ!」
 女はそのまま走って消えた。
「怖いなあ……やだなあ……」
「おい?報酬は?マウンバは?」
「あ」
 二人は昨夜男の消えた住宅に向かった。やはり女はそこにいて包丁片手に、インターホンを連打している。
「くそヤベエ!くそヤベエことになった!」
 どうやら家は留守かと思われたが、その時中から小さな男の子が現れた。隠し子か。その子供は躊躇いなく修羅の元へと歩を進める。
「あかん!通報しなきゃ!」
「バカ!間に合うか!……チッ!ちょっと我慢しろよ!」
 神田はスーザンの身体に自分を重ね合わせた。「はう!」スーザンの目が若干つり上がる。
「いい子ねえ〜♪死ねぇええ!!」
「どりゃあああああ!!」
 スーザン、人生初のドロップキックであった。女はそのまま突き飛ばされ地面に倒れた。
「痛……なああにすんのよおおお!邪魔するなあああ!」
「坊主、傘を貸せ!早く!」
 子供はスーザンの言われるままに傘を手渡した。女はこちらに鬼の形相で向かってくる。
「悪く思うな」
 スーザンは女の勢いを利用し胴に一閃を入れた。女は一瞬目を見開いて気絶する。呆気に取られた子供が我に返って泣き出すと同時に買い物から帰宅した母親が何事かと駆け寄った。
「何なんですか!?あなた!」
 スーザンの頭から白い靄が抜けると彼女はそのまま気絶した。
 
「おい!大統領の命を左右する女!マウテンンバイクは!?」
「怠い」
 事の真相はこうであった。依頼者の女こそ男につきまとうストーカーだったのである。図らずして少年の命と家族の安寧を救った二人ではあったが手元に残ったのはバキバキに折れた傘だけだった。
「話が違うぞ!」
「ちょっと、静かにしてください。どうせ乗れないでしょ。あと二度と憑依しないで。しんどすぎる。妊娠したのかとおもた」
 はじめての仕事はこうして徒労に終わった。
 
 それからしばらくして次の依頼者が現れる。その間スーザンは派遣のアルバイトで日銭を稼ぎながら家賃を踏み倒し、神田は近所の猫と縄張りを争った。世界の平和とは裏腹に個の平穏が脅かされるスーザンにとっては藁をも掴む思いで依頼者にしがみついた。しかしながら以前のような失態はおかせない。スーザンの疑念に満ち溢れた素麺より細い目つきに依頼者は些か戸惑いつつも内容を話し始める。
「何でもいいんですよね?捜してもらいたい人がいまして」
「その方とはどういった間柄で?」
「父です。母が他界してから父は一人暮らしでして、先日連絡したのですが電話に出ないのでおかしいなと思い実家を訪ねたんです。何度呼び鈴を鳴らしても出てこないので合鍵で中に入るともぬけの殻と言いますか、きっちり片付いてはいるんですけれど父の姿だけが見えないので不安になって警察に相談しました。ただ何日経っても手がかりもなく此方まで寄らせてもらいました」
「なるほど。行き先に心当たりは?」
「父は出不精であまり外出ということはせず、買い物か、月に一度、母の墓参りに行く程度で。当然その近辺は捜したり張り込んでみたのですが……全くでした」
「ふむ、誰もいない家と消えた父親……神田さん。どう思います?」
「え?」
「あ、いえ、こちらの話ですのでお気になさらず。いや猫との武勇伝は聞いてませんから!真面目に考えてください!は?いやいや!あなただって人捜しの気持ち分かるでしょうよ!何?関係ありますよ!家賃なんぼ溜まってると思ってんですか!」
「あのー?先ほどから誰と話されてるのでしょうか?」
「うるせー!ちょっと黙ってろ!あ、いや、あなたじゃなくて……はあん!?そやってすぐ成仏を盾にするんじゃねえ!消えるつもりなんてねえくせによ!あ、あのー少々お待ちを……コルァアアア!!」
 
 スーザン達が訪れた家は小高い丘に並ぶ古びた白い一軒家だった。二階建てのそれは一人で住むには物寂しく辺りはあまりに静かであった。
 依頼者である鮭山慶次(さけやまけいじ)の父、鮭山熊吉(さけやまくまきつ)の暮らす家の中には生活感がまるでなかった。冷蔵庫を開けると佃煮海苔の瓶が一つ。洗面台には歯ブラシも髭剃りもない。まだモデルルームの方がひと気を感じれるとスーザンは思った。
「本当にお住まいだったのですか?」
「間違いありません。失踪する一週間前には二人でここで酒を飲みました」
「その時何かいつもと違うご様子は?」
「母が亡くなってからは父もしょぼくれてしまって、酔うといつも寂しいと泣き言を漏らしていました。でも普段はあまり気にしていない様子でしたし、後を追うような馬鹿な人じゃありません。一緒に暮らそうって話したんです。今度子供が生まれる予定で、もしそうなったら父も近くに居てくれたほうが心強いし妻とも仲良くしてくれていたので良い機会だと」
 鮭山と別れたあとスーザンは神田を呼び出した。
「神隠しですよ。神田さん」
「今どきそんなもん流行らないよ」
「流行り廃りじゃないでしょ。実際そうなんだし」
「勘の悪い女だな。冷蔵庫に佃煮オンリー、歯ブラシも買い忘れるような碌でもないおっさんにどうやって一人暮らしなんか出来る」
「どういう意味です?」
「お前、あの家の前で何も感じなかったのか?」
「はい〜?……今の『相棒』の真似です」
「お前には向いてないよ。霊能者なんて。辞めちまえ」
「はい〜?」
「先ずそれをやめろ。鬱陶しい」
「はい〜?」
「面白くなってんだろ?呪い殺すぞ!」
「はい〜?……あー!ごめんごめんごめんなさい!憑依はやめてええええ!あああああああああー!」
 
 スーザンは再び熊吉の家に訪れた。
「鮭山さん、お父さんはずっとここにいらっしゃいました。そして今もいらっしゃいます」
「あなた何を仰っているんですか!?私は真剣に心配しているんですよ!」
「すみません。でも私達も真剣です」
「達?なら何処にいるんです!連れてきてくださいよ!」
「わかりました。ここからは危険を伴いますので鮭山さんはここにいてください」
 スーザンは鮭山から鍵を預かると熊吉邸の中へ。以前は何も感じなかった。しかしある前提を踏まえて再び目の当たりにした部屋からは強烈な寒気を感じる。
「何でも限度がある。愛情や人情もな。想いが強すぎるとこういうことになる」
 神田はそういうと息を大きく吸った。壁紙がめりめりと剥がれおどろおどろしい影の揺らめきが姿を現わす。やがて部屋の全てが崩れ去ると真ん中にポツンと老夫婦が腰を据えていた。
「何じゃお前さんら?」
「あなた気にしちゃダメよ」
「だけど……」
「いいから座ってて。わたしが見てきますから」
「女!構えろ!奴が今回の犯人だ!」
「こここうですか!?」
 スーザンはカマキリのようなポーズを取る。想い出は失われるほどに強く美化される。再び彼の地に赴きたいという願いが老人を異界に呼び寄せた。嘗ての妻と同じ形をした何か。それはこの家にこびりついた思念であった。
「邪魔者よ。失せろ!」
「邪魔か……確かに爺さんはこっちのが幸せかもな」
「何言ってんすか!神田さん!どうしよう?」
 溜息混じりに神田がスーザンに乗り移る。
「悪いな婆さん」
 準備していた木刀に神田が念を込めるとそれは仄かに発光する。
「しっくりきた!」
 熊吉邸の思念は肥大化しスーザンに襲いかかる。その一迅は太腿を掠め血が滴った。
「チッ!あまり無茶は出来んか……速攻でいく!」
 更に強く念じられ光を増す木刀をスーザンは振り下ろした。
 
グアアアァアアア!!!
 
 力はどうやら神田が上で思念は瞬く間に飛散し部屋は本来の姿を取り戻していく。騒ぎの落ち着きを見計らって鮭山が中に入ってきた。
「父さん!父さんしっかり!」
「慶次……何故や。儂はあのまんまのほうが良かったのに。何故や!返してくれ!母さんを返してくれや!」
 老人の嘆きを神田はスーザンの目を通して見ていた。幸福とは何であるか。それぞれである。父と息子はそれを互いに違う部分に見ていた。自分もそうだった。分かつ人がいた。同じ方を向いていると思っていた。しかし今はそれも分からない。確かめようと思えば、その時神田はもうこの世におらず、一方も行方が知れないのだった。
 
 前回に比べるとスーザンは少し憑依に慣れたようで回復は早かった。鮭山から得た成功報酬がそれに拍車をかけていた。
「太腿の痛みを差し引いてもひどく旨い……」
「泣くことか」
「ウゥ……ヒッグ、ヒッグ、ウゥ……ウワアアアン!寿司めっちゃ旨い!すっ、すっ、寿司ぃYYYYYYYーー!!おれは人間をやめるぞジョジョォォオ!」
 「本当に気持ち悪いやつだな」
 
 市内にあるその銀行は朝から通常通り営業していた。彼らがやってくるまでは。行員や待合の客達はこんなことテレビか映画の中だけだと思っていただろう。人は現実に直面して初めてそれが起こり得る事だと認識する。しかしながら直面してもなお受け入れ難い事がある。強盗達は鞄に紙幣を詰め込むとその場を立ち去ろうとした。先ず一発。響いた銃声は一味の一人を射抜いた。そこからパンパンパンと、五人いた強盗達は一人を残して皆撃ち殺される。撃ったのは残った一人であった。残った一人は全ての鞄を手に持つとそのまま、まさに奇術のようにパッと消失したのである。恐怖の渦中にあった人々には何が起こったかなど想像すら出来ないのだった。
 
「すごくないすか?アレ」
「……」
「本当に浮いてますよ」
「……」
「確かに神田さんだってずっと浮いてますけどね」
「喧しいな!あんなもんただのトリックだ!」
 スーザンと神田は公園にいた。バイトも依頼もない絶望からの現実逃避。その公園で小学生くらいの子供達が人だかりを作っていた。その視線の先で翁の面を被った人物がマジックを披露していた。種も仕掛けの糸もない中で人形が宙に浮いて小学生達の心は見事に奪われた。やがて翁面は自らも宙に浮いてみせ、彼らの周りをピーターパンの如く飛び回ってみせたのである。これにはスーザンも驚きを隠せなかったのだが、公園内でただ一人、それを不穏に思う者がいた。神田である。
「同業だぞ」
「え?」
「それも随分に邪な」
 翁面は地に降り立つとまっすぐスーザン達の元へ歩み寄り丁寧に会釈した。その時スーザンに違和感がよぎる。そこに意識を奪われている間に翁面は既に姿を消していた。
「何?……あれ?神田さん?神田さん!どこですかー?」
 常々そばに感じていた神田の存在もいつの間にか消えていた。
 
 味気ない日々が続く。仕事など全くやる気にならなかった。自分は神田がいなければ何もできないのが情けないスーザンだった。それよりもただただ物足りなさと寂しさを感じていた。呆然と寝そべりながらテレビをつけた。依然解決をみない強盗事件のニュースが流れる。そして電源が落ちた。部屋の照明も消えた。
「電気代払ってないんだった……もうやだ」
 部屋の暗がりでスーザンはいつの間にか眠った。
 翌日は近所を徘徊した。派遣会社からの電話を全て無視しさまようよろいと化したスーザンはあてもなく神田を捜した。そんな時一匹の錆猫が足元に擦り寄った。
「猫ちゃん……神田さん、猫ちゃんですよ」
 返事はない。
「マウンテンバイク買いましょうか。それに乗って河川敷とか行ってお弁当食べましょう。私はおにぎりとか握れないから神田さんが作ってくださいね。神田さん……どこにいるんですか?神田さーーーん!!」
「ミャーミャー」
 錆猫はスーザンの方をチラチラと振り返りながら歩き始めた。
「もしかして知ってるの?」
 スーザンは錆猫の行く先に着いていくことにした。たどり着いたのは取り壊し予定の大型スーパー跡地。立ち入り禁止のロープを越えて錆猫の後を追った。ひと気のない廃スーパーはひんやりと冷たく心細さだけが増した。動かないエスカレーターを上がって二階に辿り着くと錆猫は毛を逆立てて前方を威嚇した。
「あなたは?」
 スーザンの呼びかけに振り返った人物の顔は翁の面だった。
「やはりあなたも不思議な力をお持ちなんですね」
 落ち着いた声色から男性と分かる。
「しかし太陽は二ついらない。丁度良い。この辺りでケジメをつけましょう」
「何を言ってるのかわかりません」
「あなたにもいるんでしょ?オバケのお友達」
 ハッとした時には遅かった。スーザンの身体は言い知れぬ力で押さえつけられ身動きが取れなくなる。
「あなた……いったい!?」
「僕もねいるんですよ」
 同業と言った神田の言葉がよぎる。神田はそれを邪だとも言っていた。しかしこうなってはどうすることもできない。こんなとき神田がいれば。スーザンの目には涙が溢れた。
「心が痛みますねえ。可愛いお嬢さん。悪く思わないでください」
 男はそう言いながら不敵に笑った。ギリギリと強まる力にへし折られそうになる。
「助けて……神田さ……ん……」
 錆猫が男に飛びついて面を剥いだ。
「全く畜生の体は馴染みにくいな。ようやく話せるくらいだ」
 錆猫から神田の声がした。
「俺を霊圧で消し飛ばそうとはいい度胸だな。格の違いを見せてやる」
「神田さん……神田さんなんですね!」
 スーザンは安心感から小便をちびりそうになる。
「小癪な!レキシントン!やれ!」
 男の掛け声に霊は姿を現した。レキシントンと呼ばれたそれは半身骸の禍々しい姿をしていた。
「所詮低級の寄せ集め!古霊すら脅かす俺の相手ではない!女!借りるぞ!」
 神田はスーザンに憑依し転がっていた鉄パイプを握った。
「面白い。何方が上か教えて差し上げます!」
 レキシントンはスーザンの頭を鷲掴みにした。しかし神田の霊圧を込めたパイプがそれを断ち切る。怯むレキシントンにさらに一閃。そのまま迷いなく男に向かって振りかざした。だが男はそれを素手で掴むと拳をスーザンの腹に一撃。神田は勘が狂った。
「まさか、お前の方か」
「如何にも。レキシントンは飾りです。僕がオバケのお友達」
 神田は体勢を立て直し再びパイプを構えた。
「楽しみが増えました。つまらないところだと思っていましたがあなたのような人がいるとわかってぞくぞくします。僕は好きなものはとっておくタイプなので、今日はこの辺で」
「待て!」
「申し遅れました。僕の名は無垢品是清(むくしな これきよ)。また会いましょう」
 無垢品はそういうと神田の前から姿を消した。神田は憑依を解くとスーザンに呼びかけた。
「すまん」
「……とりあえずよかった。神田さん、どこにも行かないでくださいね」
 スーザンはそのまま気絶する。
 
 匿名の通報があり取り壊し予定の廃スーパーから先日の強盗事件で奪われた現金が発見される。犯人の行方は依然知れぬままであったが今のところは町も平穏を保っていた。
 スーザンは十回払いで買った中古のマウンテンバイクで近くの河川敷に訪れシートを広げた。
「おいしいですね。コンビニ弁当ですけど」
「そうだな」
「食べてないでしょ。てか素直ですね。きもちわる」
「うるさいよ」
「あいつまた来ますかね」
「かもな」
「次は勝ちましょうね」
「……」
「聞いてます?」
「ああ」
 
 
「そういえば神田さんの会いたい人ってどんな人なんです?」
 スーザンは最初の約束が気がかりだった。結局のところ全然儲からないは危ない橋を渡りまくりで散々だったが一応は約束である。神田にはそれなりに感謝していたしいつかは果たさねばならないという思いがあった。ところが当の本人はその事については今日まで全く口にしなかった。スーザンには神田の考えが分からない。今のままでもいいといえばいいし、もしその約束が果たされたなら神田は自分の元を去るのではないかという思いはあったが、スーザンはだからと無下にするような不実な人間ではなかった。
 「聞きたいか?」
「ええ、まあ」
「俺が死んだのは十八の時だった。剣道の練習を終えて帰宅する途中、脇見運転の車に轢かれた」
「そうだったんですか」
「その頃の俺には剣道以外にもう一つ楽しみがあった。本名も顔も知らない、だけどいつも俺を励ましてくれる人がいた」
「へえ。チャットとかですか?私も昔はやってました」
「ああ。それでいつか会って話そうと約束した。俺はその日を心待ちにしていた。そんな時、向こうに不幸ごとがあってな。ひどく落ち込んでいた。俺は借りを返さねばと必死だった。けれどそういう時は何をしてもダメで、言葉も稚拙さからかえってその人を傷つけたのかもしれない。所詮文字でしかないやりとりだったから、俺は焦って会おうと言った。それから返信は途絶えて俺はそのまま死んだ」
「……」
「どうした?……まあお前なんかに頼んだところで手がかりは何もないしな。どうせ成仏するまでの暇潰しだ。無垢品の野郎をしばき倒すまでは付き合ってやるよ」
「……」
「……なんだよ。どうしたんだ?」
「神田さん……あの、あなたもしかして」
「??」
「いえ、何もないです」
「気持ち悪い女だな」
 スーザンは確かめるのが怖かった。その心当たりを。もう少しだけ待ってほしい。そう自分に言い聞かせた。
 
 自分の過去を打ち明けて以来、態度のおかしなスーザンに神田は少しイライラした。初めて会った時とは何やら逆の立場に思えて、それも腹立たしかった。神田はプライドの高い幽霊で、神田さん神田さんとへこへこ着いてきたスーザンにある意味優越感を持っていたことも否めない。昔の自分がモニターの向こう側に寄せた想いと似た感情をいつしかスーザンに向けている事に自覚がありつつもそれを振り払った。
 一方スーザンは派遣登録を解約し近くのコンビニで働き始めた。今までの体たらくが嘘のようにバイトに打ち込んだ。一週間昼夜問わずシフトをビチビチに入れてもらい同僚から疎まれた。それでも他のことを、特に神田のことを考えないでいるためには身体を動かしているのが一番だった。そんな姿勢が認められたのかバイトリーダーとなったスーザンに最早嘗ての影などなく、滞納した家賃も溜まりに溜まった光熱費も完済された。完全に健全な日常へと帰還したスーザンは考えてしまった。懐の余裕が欲しいものを意識させた。寿司、違う。美顔器、違う。自動車、免許がない。スーザンが求めていたのは神田との対話であった。しかしそれには何かが邪魔していた。何かはわかっていた。知らない方がよかった。いっそ出会わなければよかった。つい数ヶ月前も、そして五年前も。
 
 斉藤蝶子、十八歳。時をときめく無敵の季節に好きになった人がいた。顔も名前も知らない相手は《BB》と文字だけで名乗った。そこでの蝶子は《スーザン》だった。好きな映画『テルマ&ルイーズ』に主演していたスーザン・サランドンに感化されてのハンドルネームだった。
 BBと蝶子は次第に自らのことを深く話すようになった。そして思春期の思い上がりは徐々にエスカレートし、蝶子は少しずつ自分を誇張し始める。やがて出来上がったスーザンという概念は最早斉藤蝶子ではない聡明で落ち着きのある大人の女性だった。蝶子はそれが楽しくて仕方ない普通の少女だった。
 蝶子の両親が離婚する事になった時、スーザンならばどう思っただろう。現実の蝶子はその変化に耐え得る強さを持たなかった。仲のよかった姉や優しい父と離れ、厳しい母の元で鬱積していく感情の捌け口を見失っていた。疲弊する蝶子の精神によってスーザンは脆く崩れ始める。それでもBBは優しかった。自分は嘘つきであるのに全て信用してくれて更には恩義まで感じて助けてくれようとしている。けれど蝶子には現実の方が色濃かった。自分がそうだったようにBBの言葉もまた虚言ではないかとさえ感じていた。やがてチャットルームにも姿を見せないようになる。蝶子は塞ぎこんでしまった。
 それでも時間が解決してくれる。蝶子はもうすぐ卒業生。卒業すれば家を出ようと考えていた。明るい未来図は蝶子をわくわくさせた。心の余裕からか蝶子は久々にチャットルームに顔を見せた。履歴の最後にはBBの言葉で「もし会えるなら会って話がしたい。俺は強くないからスーザンに何もしてやれないかもだけど、でもこのままでいるのが堪えられない」と書かれていた。少し冷静になった蝶子には些か気持ちの強すぎる文章であったがそれでもこんなふうに思ってくれる人の存在が嬉しかった。虫のよすぎる話だとは思ったが蝶子はBBに返信することにした。
 
「斉藤さん、もうあがっていいよ」
「いえ、大丈夫ですよ店長。どうせ暇なんで続きで入っても」
「君ね、若いのにもっと遊びなよ。僕が言うことじゃないけどさ、バリバリの営業マンとかならまだしもアルバイトで時間潰し過ぎるのはどうかと思うよ。それに鏡見た。そんなやつれた顔じゃあお客さん引いちゃうよ。ね?帰りな」
 スーザンはゾンビのように帰宅した。果たしてゾンビに帰宅すべき家屋が存在するのかはわからないが「ゾンビの帰宅」と題するのが正しく思えた。飽きた玩具を捨てるように神田との距離を置いたことを後悔した。何処にも行くなと言いながら邪険にした。自分は何と最低なのだろう。五年前と同じ道を歩もうとしている。スーザンは久しぶりにチャットを開いた。サービス自体は今も提供されていて履歴も残っていた。やはりBBからの返事はない。そうである。なぜならその人はこの世にいないから。考えてもみればこうなったことでスーザンは直接返事ができるじゃないかと思った。「かっ……」と名前を呼ぼうとしていまひとつ勇気が出ない。
「わーーーーーっ!!」
 くしゃくしゃと頭を掻きむしって叫んでみてもワンルームには虚しく木霊するだけである。外の空気を吸おうとベランダを開けると少し遠くの方がほんのりと赤い光を見せていた。
「火事?」
 スーザンはマウンテンバイクに跨り赤い方を目指した。野次馬根性ではなくよくわからない力が彼女を突き動かした。
 燃えていたのは高層マンションだった。かなり高い所で出火している。人だかりの中で女性が泣きじゃくっていた。恋人が逃げ遅れたようなことを訴えている。消防士は諦めろという表情。
「嫌よ!そんなことしたらわたしは誰と生きていけばいいの!何も伝えられないじゃない!嫌よ!お願いします!助けて!」
 何も伝えられない、スーザンにはその言葉が強く突き刺さった。自分は敢えてそうした。そして取り返すことが出来なくなった。神田の手を借りる強さはまだない。それでも自分はそうしなくてはならないと思った。スーザンは身軽に消防士達の隙間をすり抜け燃え盛る塔に踏み入った。
 
 熱さと煙で意識が飛びそうである。向こう見ずなことをした。果たして彼女の恋人は何処だろう。自分は何のためにこんなことをしているのか。思えば占いを始めたのもセルフで運命を変えようというバカな動機だった。だが案外それは成功だったかもしれない。おかげで二度と会うはずのなかった好きな人と少しとはいえ時間を共有できた。それはかけがえのないものだ。もし自分が死んだら神田は受け入れてくれるだろうか。熱い。ダメだ。ヤバい。限界かな?
「おいバカ!」
「ヤバい。幻覚だ」
「しっかりしろ!現実だ!いや、幻覚のような存在ではあるが……とにかく目を覚ませ!」
「ほ、本当に神田さん!?」
「あまり喋るな。無茶しやがって……」
「神田さん!下で女の人が恋人を待っ……てて……」
「おい!ったく世話の焼ける豚だな!焼き豚!チャーシュー!あーーー!」
 神田はスーザンに憑依した。そして事前に見つけていた女性の恋人の部屋まで走る。身体は生身。あまり無理はきかない。けれど自分の霊力を全て絞り出せばスーザン一人くらいは守れるだろうと考えた。しかしそれは……とその先は考えないことにした。神田は脇に男性を抱えるとそのまま窓から飛び立った。下方から悲鳴がする。消防士とて慌てふためいた。そんな中を何事もなく降り立つ英雄は女性に恋人を預けるとそのまま走り去って遠くに消えた。
 
 ひと気のない路地裏にはほのりと光る塊と泣き止まない女だけが在った。
「さっき憑依した時ぜんぶ知った」
「何で……何でこんな無茶するんですかあ!それにプライバシー侵害ですよ!ポリシーなんでしょ!?」
「そう……だったな。まあマウンテンバイクも手に入ったし……もう……いいや」
「神田さん、本当にごめんなさい!私、私あの頃どうしようもなく腐ってて、だからあなたが優しくしてくれたのに全然受け入れられなくて……」
「もう、いいから。……叶えられないと思ってたから……まさかお前だったとはな……スーザンって名前で占いやってたんなら早く言えよバカ」
「名乗ってなかったですね。すみません……神田さん!もう大丈夫です!私もう大丈夫だから何処にも行かないで!まだあの強盗野郎倒さないといけないじゃないですか!私と一緒に町の平和守らないと!」
「ごめん……ちょっと守れそうにない。けれど最後に守れた人が……スーザンでよかった」
「バカなこと言わないでよ!ヤダよ!死んじゃヤダ!ずっといてよ!おねがい!」
「もう死んでるんですが……あー、そろそろか。楽しかったよ。いろいろ悪かったな。……ありが……」
 スーザンの手の中で光は消えた。辺りは再び暗くなり啜り泣く声だけが響いていた。
 
「あなたが蝶子ちゃん?」
「初めまして」
「尾々にこんな美人な友達がいたなんて、紹介しないでどんだけ親不孝なやつって感じだよ」
 神田の母親は明るかった。既に息子のいない世界の哀しみを乗り越えた強さをスーザンは感じた。神田の墓参りに行きたいと思ったのは彼が消えてしばらくしたある日、チャットルーム見返すと返信があるのを発見したからである。返事の主は神田の母親で、なぜかわからないけれどここにたどり着きスーザンの存在を知ったと言った。それは神田と自分のやり取りを見られたことを意味し恥ずかしさのあまり死にたくなったが若気の至りと許してこれからを考えることにした。そして今日、神田の母親とともに彼の眠る場所に訪れた。静かな風の吹く海沿いの寺院。墓前に立つと今にも泣きそうになる。スーザンは斉藤蝶子として言った。
「初めまして。いつもありがとう」
 手を合わせて目を閉じ、深く祈った。
「神田さん、私、フランチャイズ化でコンビニのオーナーになっちゃいました。経営者です。すごいでしょ?また河川敷でお弁当食べましょう。うちの系列結構美味しんですよ。……あー、ダメだなー。我慢しようと思ったんだけどなー。……やっ、やっぱり一緒に……いっ、いっつまでもバカな話して……いたかったです……」
 神田の母親に抱き締められてスーザンは涙を止められなくなった。きっとこんなふうにいつまでも思い出して泣いてしまうだろう、それでも忘れてしまうより全然いい。ずっと引きずったっていい。もし違う人と一緒になってもいつまでも彼のことを好きでいよう。ごめんなさい未来の旦那さん、私は神田くんが好きです。
 駅から降りた帰り道。見覚えのある翁面。
「あなた……」
「お久しぶりです。どうやらご相棒はいらっしゃらないみたいですね」
「成仏しました。あなたと違って未練なく!」
「くっくっく……未練たらたらだと思いますよ」
「は?」
「彼の霊圧はまだこの町にありますから」
「え?うそ……だって」
「嘘じゃありませんよ。僕はとっておいた楽しみを奪われたらこんな冷静じゃいられませんから。次はお二人の時に出向きます。それでは、また」
 無垢品を信じるわけではない。けれど妙に説得力を感じる。というかワクワクしてきた。神田はまだ消えていない。この町のどこかにいる。そう思うとスーザンはなんだか嬉しくて変な顔になる。
「ま、まさかね。ははーん?さてはドッキリかな?私もスターになったもんだよ。まあ火事場から、人ひとり救ってっからな!あははははは!」
「それは俺だろが」
 声のする方に振り返るまでの三秒間、スーザンはとても優しい気持ちだった。