モンターグの貸出票

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好きな映画の話 その2

 デヴィッド・リンチという監督は有名です。しかし私は彼の代表作とされる『イレイザー・ヘッド』であったり『ツイン・ピークス』を知りません。後者がテレビドラマであることさえも知りませんでした。
 私が知る唯一の彼の作品、それが『ストレイト・ストーリー』です。
 物語はアイオワに住む老人が、久しく会っていない兄を訪ねるべく時速8キロの芝刈機で旅に出掛ける世界で最も鈍いであろうロード・ムービーです。
 老人アルヴィン・ストレイトは自らも胸に持病を抱えながら、若き日の不和が原因で疎遠となった兄が倒れたとの報せを受け無謀な旅を決意します。その旅路の途中では当然ながら芝刈機の故障など様々な困難に直面しアルヴィンを阻みます。しかし見ず知らずの他人がその奇妙な老人を助けてくれます。一期一会の輝きは老人の心を徐々に溶かし、自分は如何に愚かであったかを内省させます。アルヴィンにとってはこれが兄との再会のための下準備のような働きとなります。
 車を運転できないアルヴィンとはいえきっと他にももっと楽な手段で兄のもとを訪ねることは出来たはずです。それが頑固爺特有の突飛な奇行から芝刈機にまたがったわけですが、このことはアルヴィンと兄の邂逅に大きな意味を持ちます。数々の困難を乗り越え近く兄の家。佳境の芝刈機が走る山道は静かで穏やかに流れます。ようやく再会を果たした兄は弟の背後に停められたボロボロの芝刈機を目にして「あれに乗って来たのか?」と問います。兄は全てを悟りアルヴィンの決意の前で静かに涙します。老いて凝り固まった心が柔く解きほぐされ二人はかつて兄弟だった頃に回帰します。
 アルヴィンが旅の途中で口ずさんだ「老いて最も辛いのは若い頃を憶えていることさ」という台詞。そう言いつつも彼は大袈裟にいえば命を賭してその頃に帰ろうとしたのです。この作品は年を重ねるたびに響きの深くなる映画でしょう。どんどんと離れていくかつての想い出に時速8キロの芝刈機であっても追いつくことが出来るのだというアルヴィンの実績には多く勇気づけられます。これがニューヨークタイムズ紙に掲載された事実を元にしているという点でもその深みが増します。急がば回れ、老人の奇行とは裏腹にあまりにもまっすぐな物語でした。

 余談、アルヴィンの娘役を演じるシシー・スペイセクが佐々木蔵之助にしか見えない呪いを解いてほしい。

ストレイト・ストーリー リストア版 [DVD]

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