モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

アシカショー師匠

 あたしと従兄弟でアシカショーを見に来た。従兄弟のケン兄は生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしていた。奥さんはうちで婆ちゃんに料理を教わってる。奥さんは美人だしケン兄も人並みに整ったツラなので娘のミユキも赤ん坊ながらめちゃくちゃ可愛い。婆ちゃんはずっとめんこいめんこい言ってて、あたしも「わいに育てさせてくれや!」と言ったらケン兄は「朝顔とちゃうんやぞ」と言った。ミユキにあたしが昔遊んでたエリカちゃん人形を渡すと髪の毛を蕎麦みたいに吸い始めてケン兄が取り上げてあたしは頭を小突かれた。婆ちゃんが茹で上げたトウモロコシをばりぼりやりながら「ミユキは歯がねえからまだ食えんなあ」とおちょくってやると「あうあうぅ」と不満げに短い両腕を伸ばしていた。あたしはそれを見ながらケタケタ笑ってケン兄がまた頭をコツン。暴力反対だよ。
 あたしはアシカになんて興味はなかったけどミユキの喜ぶ顔が見たくてケン兄を誘った。ケン兄も同じ意見だった。ケン兄が運転する車に乗せてもらう。チャイルドシートがお気に召さない小さなお嬢様は今にも癇癪を起こしそうで、あたしが隣に座ってあやした。ミユキのお気に入りはあたし自慢のアリジゴクのモノマネで、はっきり言ってイメージだけのアリジゴクが似ているかなんてわからなかったけれどミユキはとても嬉しげに笑う。
「おまえ、アリジゴク見たことあんの?」
「知らない。でもミユキ喜んでるやん。ノープロブレムだよなあミユキー」
 あたしが全身をうねうねさせるとミユキはウキャウキャと喜んだ。

 アシカショーの会場はスーパーの駐車場だった。特設されたステージの前でちらほら見受けられる観客は決して多くはない。それでも楽しみに待っている子供とかが早く出てこいと野次を飛ばしていた。あたしもアシカに初対面するミユキの顔が早く見たい。そうこうしているとスーパーのスタッフがステージ裏から出てきて頭を下げた。
「えー、本日のアシカショーなのですが、肝心のアシカが日差しにやられてしまいまして、誠に申し訳ないのですが中止とさせて」
 スタッフが言い終わる前にブーイングが起こり、それは嵐のように渦巻いた。それにつられてミユキが泣きそうになる。あたしはミユキが泣くのが堪えられなくて、けれどブーイングに乗っかればミユキは泣いてしまうというジレンマにやきもきした。
「ケン兄!なんとかしてよ!」
「何で俺なんだよ!」
「このままだとミユキ泣いちゃうじゃん」
「ふぇ……ふぇっ……」
「ほら!ケン兄!」
「ちょ、どう何とかするんよ!?」
 その時だった。あたし達の後ろの席に座っていたおじさんが挙手した。みんな「えっ?」って感じで静まり返った。とても綺麗に伸びた手だった。おじさんはメガネをそっとパイプ椅子の上に置くと、ステージ横の段をツカツカと上がり、スタッフからマイクを預かって「自信はありませんが」とボソッと言った。「何が?」というのがこの一帯の総意だったと思う。おじさんは四つん這いになると唐突に「オゥ!オゥ!」と言った。みんなポカンとしていた。
「オゥ!オゥオゥオッ!……ちょっと!何やってるんですかトレーナーさん!早く!早く指示を!」
 アシカのトレーナーが気圧されて出てきた。
「アシカだ。あのおじさん、俺らのためにアシカやってくれてるんだ」
 ケン兄が言った。言ってることはわかるけどやってる意味がわからないあたしは風邪をひく前の日みたいな気持ちになる。
「オゥ!オゥオゥオッ!さあ、指示を!早く!」
「は……はい〜!皆さん!こここんにちは!集まってくれてありがとう!今日はアシカの……アシカの……」
「磯貝です」
「い、イソガイくんとみんなに会いにきたよ〜!よ、よろしくねえ!」
「オゥ!オゥ!オオオゥッ!」
 磯貝と名乗ったおじさんは迫真の演技でアシカを真似た。しかし誰もが嗚咽を漏らす四、五十くらいの男性にアシカをトレース出来なかった。ただ目の前の光景を見つめるしかない。
「そ、それではこの輪っかの中をくぐってもらうかな?イソガイくん?で、出来るかな〜?」
「オゥ!オゥ!オゥオゥオッ!オー!」
 磯貝さんは輪っかをくぐった。誰も拍手しない。
「オゥ!オゥ!……お姉さん!アジは!?ご褒美のアジ!」
「で、ですが……」
「リアリズム!子供が見てんでしょうが!」
「は、はいー!イソガイくんよく出来ました!じゃ、じゃあご褒美にお魚さんをあげましょうねー」
「オゥ!オゥ!オェ、オゥ!オェエェエエ!」
 トレーナーのお姉さんは完全に引きつっている。中年のおっさんが生魚を涙目になりながら無理矢理丸呑みしようとして吐き出した。
「オ、オッオェ」
 もうやめてくれ磯貝さん!あんたの気持ちは伝わった。伝わり過ぎたくらいだ!アジは無理だよ!
「私は、負けん。オゥ!オゥオゥオッ!ボエエエエオッ!臭え!オェ!」
 会場にはもうあたし達とスタッフと変態のおっさんだけだった。
「ケン兄!あたし達も帰ろ!」
「あ、ああ……ちょっと待て!」
「何でよケン兄!?ミユキ泣いちゃうよ!」
「うそだろ……」
「アヒカ、アヒカ!イホハイ!イホハイくん!」
 喋った。ミユキは笑ってた。ミユキは笑って初めて喋った言葉が「アシカの磯貝くん」だった。あたしはケン兄の気持ちを思った。パパでもないママでもない。アシカの磯貝くんだったのだ。白でもない、黒でもない。GLAYでもなくミユキの初めて喋った言葉はアシカの磯貝くんだったのだ。あたしは今日ここにケン兄を誘ったことを悔いた。
「オゥ!オゥ!オゥオゥオッ!」
 昼下がりの駐車場に磯貝くんの声がこだまする。
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