モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

六月四日、六月五日

 誕生日でした。路の節目も三度目。その十一年早く生まれたアンジェリーナ・ジョリーも一つ年をとる。アンジー、おめでとうございます。
 折角だから特別なことをしよう、そんなふうに考えてもなかなかどうして生活のリズムとは変えられないもので借りっぱなしのDVDを見るところから始まる。『告発』はアルカトラズの刑務所が閉鎖されるに至るきっかけになった事件を描く。朝の、それもこんな日に相応しくない内容の映画だ。この状況を狙ったわけではない。好きな俳優が出ているので観てみようと思った一週間前の私とその時の私は別々のことを考えていて、ただそこに一枚のDVDだけが変わらぬものとして二人の私を繋いだ計画なんて何もないこの時である。それに相応しさなんてものはどうだっていい。嫌なら見なければよかった話だから。
 財布の中身を忘却する実験を試みる。一般にそれは《散財》と言われ、場合によっては《無駄使い》と称される。
「博士、はっきり言って今月はスタート切ったばかりです。些か性急では?」
「黙れ助手!臆するな!」
 衝動的に万年筆を発注した。となるとインクも欲しいとなって文具屋へ。単にインクといっても様々なメーカーがあり、容器の瓶一つとっても洒落ている。   見ているだけで楽しい。
 正直ボールペンで事足りる筆記生活に決して安価と言えない万年筆が私にとって何になるのか、助手(理性)は問う。そして博士(如何ともし難い不明瞭な動力、或いは神の一手)は「うるさいよ」と一言だけ告げた。
 しかし助手もしぶとく研究室のドアに挟まれながら死んでたまるかと鼻息を荒げる。よってインクは見送ることにした。
 自宅に戻った私は何枚か絵を描いて過ごし眠ったり起きたりを繰り返してその日を終えた。

 振り返って不毛。翌日の私はそういう気持ちでやりなおしを開始する。寿司が食いたいか?ならくれてやる!と私の中でジャバウォックが吼える。ATMからなんの躊躇もなしに引きずり出した福翁を握りしめ寿司屋の前に立つ。「準備中」の立札を発見し気分の削がれた私はそのまま隣のカレー屋に流れスパイスがスパイシーなどと思いながら福翁一枚ペイ。「釣りはください」
 続いて書店にやってきた。竹宮ゆゆこの新刊を目撃。以前に読んだ『知らない映画のサントラを聴く』が好きな感じで、竹宮さんの青春の描き方と言葉使いは心地よく、購入決定。あとミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』と森下雨村の『白骨の処女』もカゴに。
 エドウィン・マルハウスは単行本で持っていたが私の誕生日に出された文庫版に縁を覚えて手元に置いておきたいと思った。
 十一歳という若さでこの世を去った天才作家エドウィン。彼はハッピーエンドを好んだ、という記述が作中に見られる。常に幸福に辿り着く人生なんて嘘めいて陳腐、そう斜に構えてみても幸せな方がいいに決まっている。結果どうあれ幸福を想像し希求できなければ何の為の毎日か。言い聞かせるように考え込んでしまう。レジを済ませ駅まで歩き、電車に乗って買った三冊のうちの一つを手探りで取り出して読む。どの一冊だったかはさておき自宅の最寄り駅に着くまでの時間、私はそれを一つ幸せと感じていたように思う。