モンターグの貸出票

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英語の先生

 大学の受験を控えた私に得意な科目などなかった。強いて挙げれば現代国語がなんとなく読めるだけであとはからっきしだった。そんな折に私は一人の恩師と出会う。その人はもともと私が通った学習塾の講師でなんやかんやあり独立されたのだけれど当時の生徒を見捨てては置けぬと家庭教師の形で付き合ってくれた。その人は英語が専門であったが、文系のくせして無謀にも理系学科を目指すなどと言い出した私のために数学(と生物)を一緒に勉強してくれた。然しながら得意科目が当の文系でさえ乏しい出来の悪い生徒の私だ。進学などやめて働くことも考えたが、そういう道を選んだ母が「学校は行っておけ」と言うので、そういうものかと漠然と考えていた。かといって専門学校で学ぶようなコレといったやりたいものもなかった私にいろんな道があることを教えてくれたのが先生だった。その中で私は無謀な道を選んで結果から言えば爆散したわけだが、私はその過程を楽しんだように思う。

 勉強が楽しい、それはそれまでの私にはなかった感覚である。極端に言えば志望校のことなどどうでもよかった。私は先生と勉強をすることが楽しくて、それをいつまでも続けられたらと感じていた。特に英語はそう思えた。今でもきっちりと理解してはいない。しかし元々不出来な人間に、滑り止めとはいえ合格は無理とされた学校の入試問題を「なんやこれ?楽勝やん!」とまで思わせてくれたのは先生のおかげなのである。そしてその経験は私の、本当にちっぽけな、自尊心を満たしてくれた。

 今でも大切にとってあるボロボロの参考書がある。先生がお守りにといって私にくれたそれは、かつて先生が受験の折に使っていたものだ。沢山の書き込みがある。私と一緒になって勉強してくれた際に注ぎ足されたものもある。なんだか詩的になって陳腐だがひとつひとつが思い出である。たまに読み返すと湧き上がるものがある。どこの本屋でも手に入らない特別な参考書なのだ。それが教えてくれるものは単に英語ととどまらず、勉学とは別の大切な何かである。

 私が大学に合格した時、それは第一志望ではなかったが、先生は自分のことのように喜んでくれた。口では「無理だと思ってたよ」なんて言っていたが、その中に「おめでとう」という先生の気持ちを見ていた。幾許か恩を返せただろうか。それでも足りない気がした。感謝し尽くせぬ想いは今尚。

 私が転職を考えた時も、親よりも先に相談した。長々と電話に付き合ってもらった。ひとつ私が正直な気持ちを吐くたびに親身になって答えてくれた。昔、生徒と先生だった間柄の私達。その頃の厳しい言葉を使わない先生。あまりの優しさに私は自分の幼稚さを痛感する。また借りを作ってしまう。

 何年か前に帰郷した際、久々に連絡してみると忙しい中、時間を作ってくれた。田舎の喫茶店でお互いの今を話した。もうすっかり十代を忘れた私だ。それでも彼女の前ではガキっぽさを隠せない。先生のお子さんは本が好きなんだと聞いた。本屋に行くと熟読しているらしい。私はそれが妙に嬉しくて、好きな本を買ってあげてくださいとお年玉を渡した。先生と別れた後、その子の動画が先生から送られてきた。

「ゐつぺゐくん、ありがとう」

 和かに感謝を向ける少女が愛おしい。私にはまだまだ返したりない恩がある。

 少し話は変わるが、これまた英語に長けた友達が私にV・ウルフの『ダロウェイ夫人』を勧めてくれた。原著は難解な英語で書かれた骨の折れる代物という。しかし原文特有のリズムとでも言うのか、そこでしか味わえないウルフの筆致があるとあって、私は早速『ダロウェイ夫人』の光文社古典新訳文庫版とペンギンブックス版で二冊注文した。昨今はなんでも速くて今日あたり届くのではないかと思う。英語から遠ざかった私にあの頃の無謀さが蘇る。私は『ダロウェイ夫人』を待ちながら、あの参考書を掘り出した。言って高校英語でどうにかなるわけでもないだろうが、なんだか前向きになっていた。

 

「私、子供が男の子だったら一平にしようと思ってた」

「女の子でよかった」

 

 

Modern Classics Mrs Dalloway (Penguin Modern Classics)

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