モンターグの貸出票

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さいは投げられた

 さいは投げられた。体長三六〇センチ、体重二・二トン。おとなしい性格で争いを好まず、日中は日陰で過ごし、偶に水辺に出ては水を舐め、いつも決まって檻の右端に糞をする。独居老人のような風情の優しいシロサイ、マーノルド(愛称、マーちゃん)は投げられた。マーちゃんはまだ幼獣の頃からこの清清水(きよしみず)動物園で育てられてきた。専属の飼育員、モス野菜摘(もすのなつみ)はマーちゃんが檻の端で蹲っているのを発見した時、誰かがマーちゃんを投げ飛ばしたことに気づいた。モス野はすぐさま園長の清清水清水(きよしみずきよみ)に事の次第を報告した。園長室でモス野はマーちゃんが投げられたことを報告しながら、強く噛み締めた下唇から血を流し握りしめた拳は怒りのあまり象が踏んでも壊れないアーム筆入をバキバキに砕いていた。清清水はモス野から報告を受け、みんなのアイドルとして愛されてきたマーちゃんをぶん投げる不届きな輩の存在に憤り、その捌け口として何年か前にPR活動の一環として堀ちえみをモデルに撮影した清清水動物園のポスターを勢いよく引っぺがしズタズタに破り裂いたのだった。清清水が落ち着きをいくらか取り戻すと二人しかいない園長室には悲しみからか暫く静かな時間が流れた。

「園長!わたし許せません!マーちゃんは、マーちゃんはどうして投げらたりしなくちゃいけないんですか!わたしは二十歳の頃から一緒なんですよ!そんなわたしも今年で四十二歳!誰のためだかドモホルンリンクル始めちゃいました!」

「モス野くん、君の怒りはもっともだ。マーちゃんが投げられていいはずなどない!断じて、断じてだ!私は必ずマーちゃんを投げた犯人を突き止めて鼻から麻婆春雨をゆっくり流し込んだる!」

 しかして清清水とモス野の犯人捜しが始まった。事件当日、モス野が出勤し、マーちゃんの檻に顔を出すまでの時間アリバイのない従業員は百人を超した。その中から独断と偏見で三人に絞られた容疑者は以下のとおりである。

容疑者A:貝柄貴(かいからたかし)、二十四歳。ゴリラの飼育係。日頃からマーちゃんに怨みをもっていた。ような雰囲気がある。

容疑者B:仲宗根舞夏(ちゅうしゅうこんまいか)、年齢黙秘。シロクマの飼育係。雑種の犬を飼っている。名前は「めばちこ

容疑者C:レッシー空男(れっしーそらお)、三十九歳。事務員。日系三世。

 容疑者一同は園長室に集められ清清水は彼らに尋問を開始した。

「君たちがここにいる理由は昨晩から今朝の間に起きたマーちゃん投擲事件の犯人と疑わしき人物だからだ。私も本音を言えば仲間を責めたくはない。もし君たちの中に犯人がいるなら正直に名乗り出てくれないか?」

 容疑者の三人は黙ったままである。清清水はマイデスクの三段目を徐に開くと中から鎖鎌を取り出し分銅の側をブンブンと振り回し始めた。

「よくわかった。なら仕方ないがこちらから質問をさせていただく。正直に答えるように。まず貝柄くん、君は昨晩から今朝にかけてどこで何をしていたのかね?」

「休みだったので家で寝てました。そういう時間帯でしたし」

「ギェええええい!」

 分銅は貝柄の頭部に命中し、容疑者は二人になった。残った二人は自分達が図らずともこのデスゲームの参加者であることを認識し、清清水への返答次第では貝柄の様に退場させられてしまうと慎重な姿勢を示した。

 仲宗根は清清水の顔色を伺いながら短時間で頭を急回転させ言葉にしていった。

「ところで舞夏ちゃん、君の飼い犬のメバチマグロだけど」

めばちこです」

「キゃきキュきぇキょーーーー!!」

 食い気味に訂正したのはよくなかったな、と隣の空男は分析した。残る容疑者はこの日系三世のみ。彼が犯人でなければ清清水は二人を手にかけたただの人殺しであった。そしてどちらにしろ人殺しであった。空男は生きるために目の前の狂人との心理戦に応じた。しかし相手はルールを持たない。謂わば気分で命を奪うイカれ野郎である。空男は大胆な行動に出た。

「菜摘さん、園長の行動に違和感を抱きませんか?」

 この状況でモス野を取り込もうとしたのである。そしてその狙いはあながち無謀とは言えなかった。モス野は揺らいだ。揺れて揺れて今心が何も信じられないまま清清水への疑念が膨らんでいった。もしやマーちゃんを投げ飛ばしたのは園長では?そんな思いの裏付けとして清清水だけがこの動物園で強化人間の手術を受けていたのだ。二トンを超えるマーちゃんを投げるなど人間技ではない。しかし強化人間ならば……モス野のrosy heartは咲き乱れた。

「レッシーくん!ありがとう!」

 そう呟いた瞬間、モス野は鬼の形相で清清水の方に向かって駆け出したかと思うと壁を器用に蹴り飛ばして加速し右手から繰り出した高周波ブレードで清清水の首を切り裂いた。

「ゲボ……あがあがが」

 溢れ出る血で清清水は言葉がうまく使えず暫くするとその場に倒れ臥した。清清水の遺骸を哀しい目で見据えるモス野。

「貴方さえいなければ、わたしは戦場を思い出さなかった。あの血と砂埃が絶え間なく舞う地獄をね」

 モス野と空男はマーちゃんに仇を討ったことを報告するためマーちゃんの檻にやってきた。二人の目の前でマーちゃんは檻に突進し気絶してみせた。

 

 

 マーノルドは誰にも投げられたりはしなかった。けれど投げられたということになった。しかしそんなものはマーノルド自身気にとめることもない。マーノルドは他人からどう思われようといつもマーノルドだった。穏やか、人懐こい、愛らしい。それらは人間が勝手に貼り付けたイメージであってマーノルドの本来の意思など誰にも分かるはずなどないのだった。マーノルドはシロサイとして生を受けマーノルドとして生きた。マーノルドという名前すらこのシロサイにとっては重要ではなかったし、自らの行動によって気絶してしまうことは自らの意思が齎した結果であって、誤解から何人かの命が絶たれた今もマーノルドにしてみればどうでもよいことだった。薄れゆく意識の狭間で目の前に二人の人間を確認した。彼らの表情からどことなく漂う失望の念もマーノルドは関心がなかった。檻に突進して気絶するシロサイの魂はいつも、幼獣の頃から園にいたマーノルドが知るはずのない故郷にあったのである。

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