モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

Strange banana & Monkey’s magic

 祖父はとにかく目新しい電化製品が発売されると年金の大半を注ぎ込んで購入するのが趣味というか癖みたいな感じだった。祖父の自室は彼の玩具箱で踏み場もないのにルンバがあり、ダイソンの掃除機と扇風機があり、電子辞書、ハンドミキサー、スチームアイロン、美顔器、加湿器、除湿器。珍しいものでは胡麻をするための機械や西瓜だけを冷やす機械なども置いてあった。しかし祖父がそれらを使っているところを見たことはなかった。普段の祖父は朝、目が覚めると近所のパン屋に出かけて表のベンチでクリームパンを食べコーヒー牛乳を飲む。そのまま河川敷沿いをしばらく自転車で走った後、昼食をとりに家に戻ってくる。食べたら夕方までぐっすりと眠りにつき、夜はいつも何も食べず、水と錠剤(鮫の軟骨)だけを口にし、再び朝まで就寝した。家電が届く日だけは昼寝を控えて待機していた。僕か、母か、それとも本人が受け取って本人がそれを自室に運んだ。僕も母もほとんど祖父の部屋には入ったことがなく、こうして亡くなった今、その有り様を知ることになった。

 祖父の死因はよくわからなかった。持病の患いはなかったし、いつもの河川敷で倒れているのを発見された時も特に外傷は見当たらず、突然老衰したのではと誰かが言ったがそんなことがあるのだろうかと僕は思った。何しろ寡黙な祖父の背中はその日もいつもと同じように自転車でパン屋の方へ運ばれていったのだ。家族も、それに彼自身さえその身の変化には気付けなかったろうと思った。

 葬儀も終わり何だかんだとひと段落した頃、母と二人で祖父の部屋を片付けるため、秘境とされてきた家の一画に立ち入った。埃っぽいその部屋は近未来の骨董屋という感じがして、もう少し僕も幼ければ目を輝かせたかもしれない。しかし今となっては「汚い」と一言切り捨てた母に概ね同意した。祖父の部屋から無用と思えるものは全て捨てることにした。部屋から二階の祖父の部屋から運び出すのは苦労したが、近所で欲しがる人がいれば勝手に持って言ってくれという旨を記した貼り紙をしておくと忽ち家電の山は消え失せ、祖父には悪いような、しかしながら物は誰かのためになったなら幸いという気持ちだった。ただ、いつまで経ってもその一点だけは引き取り手が現れなかった。

「俺も運び出した時は何だろうなと思ったんだけどさ……何だと思う」

「あたしが分かるわけないでしょ。それだけ箱も説明書も残ってないんだから」

 それだけは祖父も使用したのか開封済みで、けれどどういう方法で使用するものなのかは見当もつかない妙な人形だった。ロボット、という呼び名が相応しいかもしれないその人型の機械にはスイッチやリモコンらしきものもなく、ただ静かに停止したままでいた。形が形だけに気味悪く、母はさっさと捨てたがっていたが、せめて一点くらいは祖父の形見にと、なんの縁だかこうして残った機械を僕が引き取ることにした。それを部屋まで抱えていくときは妙な感じがした。犯罪に手が染むような。祖父とはうって変わって物のない僕の部屋で祖父の形見はその存在感を遺憾なく発揮した。部屋に戻って灯りを点ける度に心臓が縮こまる感覚がした。

 週末に控えた中間試験。前向きに勉強する気など全く起きず、ふと目の前に映った形見のロボットを弄ることにした。にしても表に出すときも部屋に運び戻すときも腰と腕が砕け散るかというくらいに重い機械だった。頭を叩いたりすると硬くて、かえってこちらの手がじんじんとした。かえってこちらの……などとさもそのロボットに生命でも宿っていて、おまけに痛覚の心配までしている自分はなんだか莫迦らしくなった。ただ頭を叩いた反動か、頸の辺りのカバーみたいなものが開いて、カバーの内側にはおもちゃのシールメーカーで作ったと思しきシールが貼られてある。そこには《パスワード:熊田曜子》と記されていた。

「クマダ……ヨーコ?」

 機械は忽ち僕の言葉に呼応し両目を緑色に発光させた。いかにも起動しましたという感触を見せつけるとともに言葉を発した。

「オハコンバンチワ、私ハ《ヨセイ》。アナタノ先ヲ生キ続ケルモノデス」

 僕はただ唖然としながら、このヨセイと名乗るロボットを見つけてから今日までたったの一度も「熊田曜子」を発音していない自分に気づいた。

「なんなんだよお前!」

「ヨセイ、ニツイテ。ヨセイトハ契約ユーザーノ認証ニ基ヅキ、ユーザーガオ亡クナリニナラレタ後ヲユーザートシテ生キルモノデス。ナウローディング、シバシオ待チヲ……」

 ヨセイはそう告げると二十分くらいうんともすんとも言わなくなった。二十分後、ヨセイは祖父の声で喋った。

「久しぶりだな。ムネヲ」

「爺さん……なのか?」

 自分で聞きながらひどく莫迦莫迦しいのだった。なにせ見てくれはまるで祖父ではなかった。しかし声や口調は祖父そのもので、齢を重ねるごとに口数の減った祖父が亡くなる前の一年くらいは一切というほどその声を聞かなかったので懐かしさみたいなものを感じたあまり間抜けな質問が出た。

「そうだ」

 全然違うだろという思いはこの際無視して僕は問うた。

「なんで熊田曜子なんだ?」

「……」

「……」

 都合の悪いことは答えないらしい。よく出来ている。僕は祖父が何を思って暮らしていたかを全然知らなかった。幼い頃にたった一度きり、あの自転車の荷台に乗せてもらいながら河川敷沿いを走ったのが唯一祖父との通いだった。祖父が亡くなったとき、僕の感情は殆んど揺れなかった。ムネヲ、そう呼ばれたのもいつ以来か。僕は祖父のことを知りたいと感じた。今更な思いだが目の前の機械は祖父の余生だというなら僕はこいつと関わることで少しでも祖父との隙間みたいなものを埋められるのではないかと思ったのだ。

 翌日、僕はヨセイに服を着せ、グラサンとマスクをなんとか装着し、祖父のいきつけだったパン屋まで一緒に出かけた。ヨセイは祖父と違い、僕が質問したことには大抵返事をした。それで祖父が昔は国鉄の職員だったことを知り、クリームパンは祖母との思い出の味だと知った。相変わらず熊田曜子については無言を貫いたが、僕は祖父の人間性に興味を膨らませた。

「何やってんだよ爺さん!」

「え?」

「あ、いや、こいつのあだ名で……」

 機械なので当然口に出来ないクリームパンをマスクに擦り付けたヨセイを思わず爺さんと呼んでしまう僕はパン屋のおばさんの前で取り繕った。急いでパン屋を後にするとそのまま河川敷沿いを歩いて昼には帰宅した。

「爺さん、寝るのか?」

「そうだな」

「機械のくせに……」

「ムネヲ」

「なに?」

「ムネヲと話すのは久しぶりやな」

 向こうから話してきたのはそれが二回目だった。起動時と今。

「なんだよ急に」

「いや、久しぶりやなと思ってな」

「わけわからん。だけど俺もなんか爺さんのこと誤解してたわ。俺とか母さんのこと嫌いなんかと思ってた」

 祖父は父方で、僕の父は僕が生まれる前に亡くなったと聞いている。母は実家に帰らず父の家、つまり祖父の暮らしたこの家から離れなかった。その理由は僕も聞かなかったが謂わば他人の祖父と母があまり会話もなく同じ屋根の下で暮らす様は幼ながらに居心地が悪かった。

「ムネヲ、お前の母さんには感謝しとるんや。俺はお前の父さんに似て不器用やからたぶん一人暮らしは無理やった。そういうのを察して面倒見てくれたんやから嫌いなわけないやろ」

 これは本音なのだろうか。そういうのは生きてるときに言えばもっと救われたんじゃないかと思った。

「母さん、もうすぐ帰ってくるからさ。直接言ってやってよ」

「……」

「寝るなよ」

 夜になっても爺さんは起きて来なかった。耳元で「熊田曜子」と囁いても動かなかった。いいタイミングで充電切れか。あいにく充電器は見当たらない。

「母さん、あのさ」

「ちょっと!あんた何泣いてんの!?」

 

 僕の中間試験、結果は散々だった。