モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

Embarrassing Today

 階下から母親の声が聞こえてくる。自室ではけたたましい音で目覚まし時計が鳴り響き、携帯電話のアラームも何度目かのスヌーズを更新していた。それでも菱谷弥生の覚醒はいまだその時を迎えなかった。「あと五分……」それが積み重なって五分の概念が覆される度に弥生の微睡みは深まるように思われた。

 弥生折しも十六歳。とはいえ平日の誕生日にこれといって普段と差異はない。ただいつもの血圧の低さと同調してテンションは全く上がらず、叶うことなら学校を休んで眠り続けることが彼女の望んだ最高のプレゼントだった。それを許さないのが母、菱谷恵子は覇道という名の階段を突き進み、弥生の部屋のドアを突き破らんかの勢いで開くとパジャマの襟を掴み倒して一言告げた。

「お誕生日、おめでとう!」

 台詞に反して般若の母に弥生は為す術もなく、制服に着替えるとそそくさと家を後にした。目覚めてしまえばせっかくのバースデー。最高の一日にしたいと思った矢先に運転中の自転車のチェーンが妙な音を立てて絡まり意思に反して停車した。弥生の身体にはいまだ加速が残って前方へと吹っ飛んだ。一瞬なにが起こったか理解できなかった弥生の身体は死者という感じで倒れていたが、再び腰を持ち上げると魔のアンチロックブレーキシステムを発動した自転車を蹴り倒してそのまま乗り捨て通学路へと復帰した。

 学校に着いた傷だらけの弥生を見た級友の栗野粟子は「そなたこそ一騎当千の猛将よ!」と言って茶化す。弥生は鞄で粟子の頭を張り倒すと「敵将!討ち取ったり!」と返して教室に入った。

 普段と同じ時間が過ぎていく。果たして誕生日などとは只々加齢に花を添えた綺麗事ではなかろうかと。傷が疼く。この柔肌も近所のE.T.みたいに皺くちゃなババアのようにいつかは溝深く刻まれていくのだろうと思うと「こうしちゃいられねえ!」とノロとエンザが同発したなどと告げ早退を決め込むと追手の指導教諭を振り払い足早に校門を突破した弥生は完全究極健康体だった。

 さて時間の浪費を怖れた弥生は時間だけを浪費していた。財布を覗けば小銭と埃だけがチラついて、なけなしの金で買ったカップ入りの炭酸飲料に入った氷を口に含んで公園の鳩を射撃していた。地に落ちた氷に鳩は一瞬興味を示すも、それが豆では無いと知るや弥生のそばから離散した。孤独を噛みしめる十六年目の今日、園も日暮れて闇は心までもを覆い隠そうとしていた。すると覇王恵子からラインでケーキの写真が送られてきた。自分のバースデーケーキである。その直後にメッセージ音。

「サボったな。殺す」

 弥生は空を仰いだ。赤く染まった夕空が今朝のかすり傷を照らす。再び顔を下ろすと溜息をついて今日という日を思い返した。自転車を失った日、そのように刻まれると弥生はシーソーから立ち上がる。

「イーティ〜、オウチ、カエル」

 

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