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モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

ヴァンパイア倦怠期

 血を吸い飽きた。長年こんなことを続けていよいよ意味が分からなくなってきた。人間が食事に飽きますか?知らん。そんなことは全然知らん。だって私は吸血鬼だもの。人間せいぜい百歳ちょっとの寿命に対して既に千歳を越えて数えるのもやめた私が血を吸い飽きましたと言って「吸血鬼が血を吸い飽きますか?」などと問える人間がいるだろうか?私はすかさず「千年生きますか?」と問うてやろう。

 そもそも吸血鬼という呼び名も気に入らない。私は鬼などと呼ばれるにはあまりに優しいからです。捨て犬捨て猫見捨てれないし電車でお年寄りに席を譲るのなんて当たり前。まあ年齢から言えば私の方がはるかにお年寄りなのだけれど。

 つまり人間が勝手に鬼呼ばわり(ここでは「泣いた赤鬼」みたいな話は例外とする)しているだけで私はどちらかと言うと「吸血善い人」なわけで、これがいよいよ禁血したなら完全善い人の私です。

 血を吸わない吸血善い人は生きていけるのかという問題があります。さてこのことについてははっきり申し上げて「死ぬ」でしょうね。だって吸血善い人の生命の根源たるはなにかに差し置いて「血」であるからして、血を断つことそれ即ち「死」であると。でもね、もういいかなと思うのです。もう千年以上生きてね、この先何か面白いことあんのかい?とね。ファミコンを初めてプレイした時は感動があった。『悪魔城ドラキュラ』だったんですけどね「こんな吸血鬼おらんしるばにあぁあああ!」みたいに吸血善い人的にはツッコミどころ満載なのもありつつ単純にゲーム性に見惚れたところがありました。それからゲーム機は進化して今やスイッチだかボタンだかを売ってるみたいだけれど全く食指が動かない。どう言えばいいのか、私は血を吸うことそれよりこの生きる限り永遠に続く「生活」に飽いてしまったのかもしれない。一度たりとて全く同じ日はないと言うけれど人生ゲーム千年マップの辛さときたら共感を得れそうにもないが、一例を出せば借りたアパートの(それは時代によって城だったり貧乏長屋だったりするのだが)大家の方が先に逝って住処をおわれるしんどさを想像してほしい。家を買えば済む話だろうと思うでしょ?それが築千年保つか?未だ元気なこの哀しき肉体に家が追いつかないんだぜ?

 だからね、もういいかなと思っていたんだが先日あまりにも暇を持て余して千年生きて初めて遊園地なるものに行ってみた私はアトラクション待ちしていながら目の前に同じように並んでいる女性のうなじが目に映ろうとも相変わらずまったく血を吸う気もしないで、けれど忍耐力だけはあったので二時間待ちとか体感ゼロコンマ二秒くらいだったから死んだ魚の目で立っていました。その時目の前に並んでいた女性に手を繋がれた子供の手にあったソフトクリームが私の着ていたスーツパンツにベチョリンパして膝あたりが冷んやりした。女性、おそらくその子の母親が謝り倒して弁償するなどと言い出したので、ただ一人で観覧車とか言うのに乗ろうとしていただけのこっちがテンパってしまって「私は吸血善い人なので大丈夫です」とか言っちゃってよく分からん感じになったのだが、その後その親子と園内のレストランでお食事イベントが発生して、お子は美味そうにチキンライスを食うとるのを見てからふと母親を見るとなんだか優しい目をしてお子の食事を見守るのが、なんて言えばいいのかな……なんかええなと思ってしまったのです。

 私は親子の姿が見えなくなるまで手を振って、親子の姿が見えなくなると汚れたパンツの膝あたりを見て「生きたのだなあ」と感慨深くなった。もう随分と感じ取れていないこの気持ちは悪魔城ドラキュラ以来、いやもっと別の、もっと価値のある瞬間だったように思う。私にはまだ貯血がある。それがどれほど保つかは知らんが、ゆえにそれまでの間はこういう気持ちを探しながら生きてみるのも悪くはないなと、チーズに韓国海苔を巻いたのつまみながら酔いのまわり微睡む今、そんなことを考えていたなう。