モンターグの貸出票

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OLお昼に中華屋へ

 お昼休み。私と冴子は最近職場の近くに出来た中華料理屋にやって来た。「中華飯店 桂馬」この実にスレスレな感じが私達を引き寄せた。店頭には春先にも関わらず「冷やし中華はじめました」の立看板。

「うっそ、もう始まってんの」

「季節先取りってかんじだね。あたし冷やし中華にしよ」

 店内に入ると客は私達以外見当たらない。とりあえず端っこのテーブルにつくと厨房から店主と思しき男性が現れ注文をとる。

「なんしやしょ?」

「あたしは冷やし中華!」

「んじゃ私も」

 それから何分が過ぎだろうか。待てども待てども冷やし中華は始まらない。お昼休みも終わりかねない時刻にいよいよしびれを切らした冴子が物申す。

「おじさーん!まだー?お昼終わっちゃうんだけど」

「おまたせしやした」

 満を持して冷やし中華は登場した。テーブルに二皿。カチンコチンの北京ダックだった。

「なにこれ……」

冷やし中華で」

 冷えとかいうレベルを超えていた。なにせ弾かれる箸にフォークにナイフだった。私は散らばった箸とフォークとナイフを拾い集めるとそれを整えて店主の顔をもう一度見た。

「私達の知る冷やし中華に異なる」

「認識、それ即ち個々に背負われし業のもの。嬢さん方の冷やし中華は知らねえが、あっしの国じゃあこいつをそう呼ぶんでさ」

 私はこの北京ダックが北京ダックたる北京ダックであるならばまだしもどうして凍らせてしまったのかと世の不条理を嘆いた。油で丹念に熱せられた二羽の家鴨もよもやカチカチに凍らされてしまうなどと思いもしなかったろう。魂は熱された時に消滅したにせよ、これは愚弄だ。食べ物で遊んではいけないと、このおっさんは教えてもらわなかったのだろうか。はたしてどこの国に油で揚げた鳥を再び凍らせてしまう料理が存在するのか。これは各店舗に出荷される前のファミチキではないか。そもそも中華イコール北京ダックの認識を持ち、尚且つ冷凍してしまうこのおっさんの知性たるやシナントロプス・ペキネンシスのそれではないのか。なにがしたいんですかあんたは?それはついぞ言葉となって口から出た。

「なにがしたいんですかあんたは?」

「気に入らねえなら置いてきな。お代は結構」

 私は二羽分の家鴨の対価たる万札一枚をテーブルに叩きつけた。注文時に冷やし中華と侮って一人前五千円を見逃した私達にも非はある。ここからはプライドの戦いだった。

「智絵、食べよ」

「冴子!何を?」

「あひる、報われないよ」

「冴子!しかし!?」

「食べよ、残さず弔ってあげよ」

「冴子……お前ってやつは」

 私達は歯が折れそうになりながら北京ダックにむしゃぶりついた。徐々に溶け出す水分と混じり合った油がクソ不味い。自然と涙が溢れる。それを見ていたペキネンシスは何を勘違いしたのか感動めいた涙を流しているようだった。法が許すならこの店を爆破したいとさえ思った。しかし冴子の健気にもこの弄ばれた家鴨達に精一杯報いたいとする、冷やし中華を安易に注文した自分の懺悔にも似た姿勢に私も同じ罪人として共にあらねばと考えた。

 いよいよ家鴨が肉体を召される頃、私達二人もまた凌辱の後といった趣きで放心していた。既に午後からの仕事が始まって、私と冴子の電話は鳴りっぱなしだったがそれに応える気力が持てなかった。

「あっしは感動したよ!姐さん方!うちの冷やし中華を平らげるなんて……いや、もう本当にお代はけっ!?」

 私はペキネンシスの口に万札を握りしめた拳を突っ込むと同時にもう一方の手でがら空きのボディにブローをくれてやった。ウポーッ!と言葉にならない声で呻くペキネンシスを尻目に私と冴子は店を出た。薄暗い店内を出ると温かな昼の陽射しが私達を照らし、テカテカの口元は永遠の輝き。「冷やし中華はじめました」の立看板を蹴り飛ばし、私達二人はこれから叱られに行く。

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