モンターグの貸出票

返却期限を過ぎました。

塩と警句

 他人の、それは限りなく縁の遠い、言ってしまえば実在すら疑わしいその人たちの織りなす甘酸っぱさにわたしは吐気を催して、ただただ酸いだけの胃液と共に一粒の苺をベッドに吐き出した。ベッドは敷き直して間のない白い、本当に白いシーツのその上をわたしの持つ嫌悪で汚してしまう。俄かに黄味がかった酸の中に一粒の苺だけがほぼそのままで、涙ぐんだ瞳はぼやけながらもその赤を覚えるのだった。

 何事もなかったように洗面台で口をゆすぐ。もう深夜なのであるが明かりの灯った洗面所は朝より明るい夜だった。あれはなんだったのだろうか。なぜわたしはそれに触れ、忌み嫌い、そして嘔吐したのか。悲しくもあり虚しくもあって、憤りさえ感じながら向ける刃先には誰もいない。引き出しの中のナイフ、それは取り出されて空を切った。切ったというからには何か切られた残りがあるはずなのだがどうも見当たらない。わたしはベッドの上の酸の中に落としてしまったナイフを指で摘んで、口をゆすいだ後にそれも水で洗い流した。

 部屋に戻ると些か水気を吸われて失った汚れの中に苺は赤くそのままでいた。その汚いルビーは何を言うでもなく、けれどこの部屋で一番偉いはずのわたし以上に威厳があった。

 あれだけが後悔だ。あれだけが敵である。わたしは再びナイフを強く握りしめ、苺のその赤目掛けて刃を振った。苺は身を躱して刃はシーツを裂いた。下のベッドも一緒に裂いた。剥き出しのウレタンがケラケラと嗤っている。わたしは何度も何度もベッドを刺した。黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!

 苺は床に転がっていた。さっきまで、それはこの話が始まる少し手前まで繋がっていたはずの破り裂かれた雑誌の横に苺は転がって、わたしがベッドを殺すのをずっと眺めていた。

 もう疲れ果てていた。ベッドは何度殺しても嗤うだけ。決して死ななかったのだ。同様にきっとあの赤い敵もどうやろうとわたしの斬撃を躱すだろう。踏み潰したりも出来ない気がする。あの赤はジャムにはならない。あの赤はいつまでも果実だ。円熟を保ちながらホイップの上で輝き続ける。さてどうしようか。生憎まだ陽は登らない。その日の汚れ、その日のうちに。お腹が空いたな。わたしはナイフをまた引き出しに了う。

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