アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

映画館という提案

 最後に映画館に足を運んだのはいつだったかというようなことを考えてみると日記から三年前だったことが分かる。『草原の実験』という映画をひとりで観ている。

 かつて映画館は僕の中でひとりで訪れるには抵抗ある場所だった。それがいつの間にか誰かと一緒に観たりすることのほうに違和感を持つようになる。一人暮らしが長い所為か何事もひとりの時間が性に合うように思う。このようなことをあえて述べるとさも強がりに聞こえるがまあそういう部分もあるだろう。

 ひとりで映画館に行く。映画が始まるまでの時間はなんとも言えない。特にそれが日暮れに近づけばなおのこと。休みが終わっていく侘しさに浸ることになる。グッズなどには興味がないのでただひたすらロビーの椅子に座ってボーッとしているのだが、その合間にこれから観るであろう映画の内容に少しずつ期待を高めていく。

 さて映画がはじまると不思議なことに一切の現実から遠ざかる。暗転した部屋。疎らな観客。静けさの中の俄かな騒めき。いよいよはじまる頃には目の前のスクリーンがこの世の総てに思えている。

 せっかくなので(今日現在)最後に映画館で観た『草原の実験』について。作品の特徴としては台詞がほぼない。登場人物は表情で語る。ゆえにか観ている側は画に注目できるようになっている。この世のどことも言えない牧歌的な土地での暮らしの風景が映し出され、それはそれで良い雰囲気を持っているのだが、それ以上に主人公の一人である少女の神秘的な美しさが作品全体を引っ張り上げていた。彼女がいれば最悪どう物語が運ばれようと成立する力がある。ラストシーンに賛否があるようだが、仮にそこに作り手の思想が垣間見えたとしてもそんなこと切り捨てて考えて(あるいは何も考えず)彼女の作品に齎す功績を称えたい。またこのような映画はまさしく映画館の大きなスクリーンに映し出されてこそという感想も持った。あの力強い瞳に、そこにいない僕たち観客が目を合わせた時、息を呑む。

 それ以来、記憶や記録によれば映画館には行っていない。行きたいということもないが行けばまた何か見つかるかもしれない。何が言いたいのかよく分からなくなってきたところで物言わずして表現に富んだ少女を思い出し頭の下がる思いがした。

 

草原の実験(字幕版)