アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

儀式

 小学生。初めて手に入れた筆箱は車の絵が描かれた、横っちょのボタンを押すと鉛筆削りや消しゴムホルダーがパシュッと飛び出すギミック付きの青いそれだった。それから一年おきに学年が一つ上がるたび筆箱は新調された。中学生。それまで基地のようだった筆箱が布地の柔いものを選ぶようになる。それが洒落ているように思えたのだ。不慣れな柔さはそれまできっちりと区分けされてきた文具が全て一緒くたに詰め込まれた所為か勝手も違うのだがそれも直ぐに慣れていった。大学生。学生という身分の間、筆箱は布であったり缶になったり、はたまたプラッチックだったりした。それらはやはり一年ごとに中身も含めて一新された。まだ使える文具達を一年で取り替えてしまうのは勿体無いことだった。ペンや消しゴムは自宅でも使い道はあったけれど筆箱自体は役目を失った容れ物でしかなかった。ただ気持ちの問題だけで道具を真新しいものに変えていくのは今思えば不道徳なことだったかもしれない。一年の始まりには新しい道具をという宗教を持っていた。

 社会人になって、普通に過ごす中で学生時分ほどに文具を要する機会は減った。メモを取るだけなら手帳とボールペンが一対あれば足りるので、そこに赤色とシャーペンでもあれば十分だった。仕事はそれで済ませたが、訳あって趣味では書くことをやめなかったから今も筆箱は持っている。元々メガネケースだったそれを筆箱と呼んでいいのかはさておき文具はそれにしまってある。もう一年経とうが三年経とうがそれは更新されない。気持ちを新たにするということを道具に託すことはやめた。

 ボールペンが壊れてノックしなくなった。気に入っていたので残念ではあったが、反対に壊れるまで使ったのは初めてのような気もした。実家に戻れば幼稚な頃に尻を歯牙んだボロボロな鉛筆でさえペン立てになったマグカップに突き刺さっている。とりあえずボールペンを買いに行くことにした。然程高価なものである必要も感じないが手触りが良い物をと思って1,500円のそれを買った。それを手に店を出た後、近くの喫茶店で鞄に忍ばせたノートを取り出して試し書きをする。気づくと二時間ばかりが経っていて明るかった空も暗くなっていた。そろそろ店じまいというのでノートを閉じた。ボールペンをしまおうとして一度見直す。学生の頃の儀式以来か、新たに取り替えられたボールペンにまた何かを託してしまいそうになる。