アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

ガソリンスタンド

 朝から曇り空で今にも雨が降りそうだった。辺境の給油所には運輸トラックが疎らに往来した。暇なのはいつもの話で天候の影響というのはほとんど見られない。それでも父親のジェフは安酒を朝っぱらからあおって「こんな天気じゃ商売あがったりだ!」と愚痴をこぼしながらそばにあった空のオイル缶を蹴り飛ばした。缶は金属質の衝突する音を立てながらハンスの足下へ転がってきた。いい加減にしろクソ親父! これは最早効果を失った呪文でありハンスはもうそれを口にすることもなかった。裏手の事務所の冷蔵庫から腐りかけの豆のスープを取り出して啜った。口内に嫌味が広がって何度と口に運ぶのは憚られるのだが他に足しになるようなものもなく、ハンスは結局スープ皿を空にした。

 外でエンジン音が聞こえた。やがてそれは近くで止み、ハンスが表に出ると一台のバイクが停車していた。運転手は黒いバイクスーツで全身を覆い、頭部は髑髏を模したヘルメットを被っていた。ハンスはその異様な雰囲気に不安を覚えた。黒髑髏は給油を父に頼んだがジェフはセルフだとぶっきらぼうに答えた。黒髑髏は静かに給油を終えると再びバイクのエンジンをかける。ジェフはそのけたたましいエンジン音に対して罵声を浴びせたがかき消された。黒髑髏が落としていく金はジェフの酒代になるか一家の食費になるかは分かりかねたが、この辺りには一件しかない貧乏スタンドの足元を見た客単価はたとえ一台でも重宝した。

 一旦エンジンをかけた黒髑髏は何故かまた停止させたバイクから降り、ジェフの側へと寄っていった。黒髑髏はジェフと何やら話しているようだったがハンスの位置からはうまく聞き取れなかった。やがてジェフは黒髑髏に向かって「ふざけんな!」と怒鳴り立てるとそのまま掴みかかろうとした。けれどアル中の彼の足はおぼつかずその場ですっ転んでしまう。何事かとハンスが二人の元へ歩みだした刹那、黒髑髏は倒れたジェフに向けて銃を撃ち込んだのだった。ジェフの身体はビクンビクンと二、三度痙攣した後まったく動かなくなった。ハンスは目の前で起きたことが一瞬よくわからなくなった。予想できないことには理解が追いつかない。ジェフの身体から流れていたものが漏れ出たオイルではなく血だと認識した時、ハンスは大声で叫んだ。叫びながら父親がまだアル中ではなかった頃、つまり母とまだ暮らしていた頃を思い出していた。ハンスはジェフの肩に乗せられて遥か遠くの地平線に浮かぶ青い場所を見ていた。ジェフはそれを指差して「あれが海だ」とハンスに教えた。ハンスは「行ってみたい」と言い、母、カーリーが次の休みに皆んなで行こうと提案したがその日はついぞ来なかった。黒髑髏は叫ぶハンスの方に向き直り近づいてくる。ハンスは腰が抜けたまま這って逃げようとした。けれど当然追いつかれて髪を掴まれる。

「ハンス」

 ハンスは首を縦に振った。恐怖でおかしくなり、さっき口に入れた豆のスープを全て吐いてしまう。黒髑髏は舌打ちをした後ハンスを突き放して「悪いことしたな」と言うと幾らかの紙幣をハンスの前に投げ捨てた。ハンスはよくわからないままそれが荒野の風に吹かれて飛んでしまわないようにすぐさま掴み取った。なぜ奴は自分の名前を知っていたのだろうという疑問は最後にやって来た。

「お前の母親はここから約二千キロ、あの海の近くの港町で暮らしてる。彼女はもうすぐ死ぬ。俺が直接行くよりお前が行ってやった方がいい」

「何を、何を言ってるかわからない」

「嘘だと思うならその金で行ってみろ。全部わかる」

「あんた誰?」

「俺は失敗した。お前の……親父を殺すつもりもなかった。立ち寄るんじゃなかった……後はお前がやれ」

 黒髑髏はそのままバイクで走り去ってしまった。ハンスはジェフのもとへ近づいて彼が死んだことを確認した。不思議と悲しみはなかった。ハンスは手で握りつぶしていたボロボロの紙幣を見つめて黒髑髏の言葉を思い返した。一台のトラックが給油所に向かってくるのが見えた。ハンスはジェフの遺体を事務所まで引きずって隠した。

「満タンで」

「ここは今日で廃業なんです」

「おいそりゃ困る」

「あんたが最後の客だ。ガソリン代はいらない。それとこの金もやるから送ってほしいところがある」

「なんだそれ? 俺だって仕事がある」

「全部終わってからでいい。最後にそこへ寄ってほしい」

 ハンスはトラックに乗り込むと頬についた砂を拭った。間もなくして雨が降り出した。