アントーニオの肉一ポンド

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高山羽根子「ホテル・マニラの熱と髪」

 高山羽根子氏が好きになったのは三年ほど前のゴダール特集を組んだユリイカに掲載されたエッセイがキッカケだった(ように思う)。「「了」という名の襤褸の少女」と題されたそのエッセイの内容は正直言って殆ど覚えていないが、たとえば小説を書いてみるとき、作家は始めることには着目するが終わらせることにはその同等ではないというようなことが書かれていてなんだかひどく頷いた記憶がある。素人ながら書いているものをちゃんと終わらせてあげねばという気にもなった(そう出来ないことも未だしばしばあるが)。この時、氏が小説家であるということを知らず、それをコラムとして読んだにもかかわらずどことなく小説的な印象を受けた。

 その後『うどん キツネつきの』を読んだわけだが、氏がどこかのインタビューで答えていた「庭先から広がるワンダー」たとえば藤枝静男の小説に似た印象に作風が近いというのも納得出来た。あまりSFという括りにこだわりすぎない、けれどヘンテコな風合いにはだいぶ好印象を持った。

 最近になって氏が新作を発表したことを知る。しかしながら知った段階で調べてみると掲載誌は軒並み品切れであった。あまりアンテナが鋭くはなく蔦がびっしり絡まりまくって機能しないオブジェとしてある私の頭の中で前轍を踏んだと二年前の失敗が思い出された。この新作と同じく朝日新聞出版の発行する小説トリッパー2016年夏号に氏のエッセイが載っていると知った頃にはまた手に入らない状態だった。「ホテル・マニラの熱と髪」という題を聞くだけで読みたい気持ちは昂ぶったが実存しない豆を探して土を嘴で突きまくることしかできない鳩の気持ちを考えつつ時は流れていったのだ。

 小説の新作ならば単行本による刊行が期待できる。しかしそこにエッセイは収録されるだろうか? 載っていれば嬉しいなとは思うもあまり期待は出来そうにない。気づくとAmazonに来ていた私は中古だろうがなんだろうがもう読まずに余生もクソもあるかという気分で発注していた。二年の間でその記憶の大多数からは忘れ去られていた事柄である。しかし一度何かの弾みであげてしまった撃鉄はおろしてやらねば自分の頭蓋さえ吹き飛ばしかねないとは思わないだろうか? 訳の分からない講釈はさておきそれが今日届いた。脇目も振らず高山羽根子の名前を探して該当ページまですっ飛ばした。

小ぶりの教会にも見える、がらんとした作りのフロントには同じくらいの大きさの少女が五人いた。彼女たちは大きさだけでなく、目元の甘やかさ、丸さの目立つ唇の可愛らしさの質も同じように見えた。深夜にも拘らずモップがけをしながら、猫の鳴き声のような言葉で会話している。

 三十九度にもなる熱を患ったまま氏がシンガポールに向かう道中で寄ったマニラでの体験を綴ったコラム。コラムだ。実体験に基づく。ところがどうだろう。上に引用した部分を一度読んでもらうと、それはまるで物語のような書き口という印象を受けないだろうか。私が以前そう感じたように。文字に起こすことで事実が幾らかのロマンを獲得している。私はこの部分を読むために二年もほったらかしにしてきた。気づくと手遅れだったと思っていたがなんとか滑り込めたようだ。今、深夜ひとり自室にて何度目かを読み返している。新作はどうも八月頃に出るらしい。補充はおかげさまで万端だ。またひと月ばかり生きる糧を見つけたように思う。あと一回読んだらとりあえず今日は寝よう。