アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

十二姉妹

 カロンは夜明けの寝室でカーテンの隙間から射す光を見つめた。ありとあらゆる可能性を殺されてしまった動く標本は本人達が望んだわけではなかったもののカロンの魂を癒していた。無意味な翅。絶望の最中にあって死を選ぶことも許さずとするカロンの態度は傲慢で無邪気だった。寝室を出ると螺旋階段を駆け下りてカロンは白衣を纏う。エンブリヲと名付けた泡の調子を確認するとあまりよろしくない。昨日よりひとまわり小さいのだ。それで腹をたてるカロンではなかったがエンブリヲの入れられた硝子筒に黒い布を被せて光を奪った。翻って愛情。自認は必要なかった。

 カロンが実験道具を扱う様はまるでままごとのようだ。それ本来の意味が見て取れず児戯に思えた。エンブリヲの件にしても何の為かと答えられるものはいないだろうしカロン自身も語らない。ただ一日の中で試験管に薬品を注いで振ってみたり、得体の知れない石のような塊の質量を測ってみたりということは毎日なされていた。午前の作業をひとしきり終えると彼女にしかわからない字で結果を書き留め、昼食をとる。蒸し鶏にはこれといって味付けがないにもかかわらずカロンはそれを口に運んだ。昼食を済ませると読書の時間となる。馴染みのない著者、聞いたことのない題。いったいどこで手に入るのかという書籍の数々が棚を埋めている。そこから一冊手に取るとソファに寝転ぶようにして読み始める。多くはそのまま眠り落ちてしまう。日が沈みかけた頃目を覚まし、起きがけに飴玉を放り込む。寝ぼけていたせいか味わい束の間飲み込んでしまった。思いがけない感情の発露。また夜がやってくる。

 カロンは夜を嫌った。夜になると十一人の姉と妹が来訪するからだ。門は無論、全ての窓を閉め、細かな穴を塞ぎきっても彼女らは現れた。

カロンカロン

 姉妹は決まってそれしか言わない。カロンには彼女達の見分けがついた。それぞれに名もある。だが相手にしない。

カロンカロン

 なぜ自分だけが屋敷の守り人とされたのか。初めはそんなことを思った。今ではどうでもよくなっていた。カロンはレコードの針を落とす。増幅装置を最大値に上げる。大音量の讃美歌が流れ姉妹の悲鳴がそこに混ざっていく。

カロンカロン!」

 先程と比べ怒気の強まった物言い。止めろとでも言うのか。カロンはそれを聞き入れず指揮棒を振るような仕草で目を閉じたまま室内を舞う。音は空気を揺らし戸棚にしまわれたカップや皿を震わせた。目を閉じたままなのでカロンは身体を家具にぶつけたりしたがそれすらを楽しみとするかのように踊り狂っていた。疲れ果て眠るまでカロンは息をきらしてはしゃいだ。

 野鳥が囀り始めると姉妹はもういない。鳥嫌いなのだろう。カロンはそう考えていた。窓からはまた日が射して部屋の埃に存在意義を与えた。たまには外に出かけてみよう。これはいつもながら曖昧になって搔き消える発想だった。何故なら外など何処にもないのだ。何処にも。諦めが用意されているのにふと立ち現れる希望を紛らわせるためにカロンは実験を続けていた。