アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

その昔、レンタルビデオなどない頃

 爺さんは言ってた。人生はチョコレートの箱のようなもの、開けてみるまではわからない。僕は映画の受け売りでしょって言うと爺さんは舌打ちしてはにかんだ。亡くなって一週間。そんなことを思い出した。

 僕に限らず生活は誰にも当たり前のようであり、毎日違う顔とすれ違いながらそれが覚えていないだけなのかと考える暇もなく通り過ぎていく。爺さんが言ってたもう一つのこと。僕らはどうやら火星人らしい。

 火星。それは写真で見た。木星や金星と並べてどれが火星かと聞かれても答えられないと思う。そんなおぼろげな記憶に故郷があるのだろうか。仮にかつては火星人だとしても僕らは随分と世代を越えて地球人であることを自覚するまでもなくなってしまった。そんな中でかつて火星人だったと主張することになんの意味があるのだろう。

 僕は想像する。批判覚悟で言うがそれは刺激を求める本能ではないかと。つまり僕ら地球人は地球に飽いてしまったのではないかということ。そしてそれ以前に火星に飽いてしまった歴史があるのではないだろうか。

 かつての火星人たちは火星で暮らす中でその星では叶え得ない部分に到達した。困るほどではなかったけれどそのままでは何かが壊れてしまう不安があった。闇雲に追求する中でどうやら水に富んだ星があるという噂に辿り着く。初めは誰もが半信半疑だった。ひとりの火星人が言った。このまま黙って存在するだけの肉でいるか、はたまたその水とやらの味見に出かけてみるか。何人かの有志が集まった。保守派の連中は自前のプラカードで批判した。移住を希望する者たちが少しずつ増えるに従ってそれぞれの意見が取り入れられ計画は具体化する。彼らは知識のコロニーだった。ある日火星から一基の宇宙船が発進する。大きな火花を散らして、間近で流れ星を見るようだった。果たしてその賭けには勝ったのだろうか。

 それから幾数千年。数万年だろうか。爺さんは自分達が火星人だと言い残して世を去った。爺さんは今どこの星にいるのだろうか。僕はレンタルビデオ屋の帰りに夜空を見上げて火星を探した。