アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

縁日

 狐、狐、狐。火男、おかめ、狐。狐。河童。面屋は言った。お好きなのをどうぞ。少年は言った。どれも要らない。面屋は言った。そうですかい。少年は言った。金魚はどこ? 面屋は言った。無えでさ。少年は何も言わずに走り去った。面屋の屋台の裏手から黒い浴衣の女が覗いた。差し入れといってラムネをひと瓶渡す。面屋は親指で栓になったビー玉を押し抜く。泡が溢れてビチャビチャと砂の上を濡らした。ゴク、ゴク、ゴク。喉を軽快にすり抜ける炭酸が蒸し暑い夜を俄かに冷やした。夜になっても蝉が騒いだ。しかし縁日の賑やかさはそれを凌いで気にさせなかった。面屋はラムネを飲むべくずらした狸を戻した。また表情というものから遠ざかった。浴衣の女は山茶花の香りがした。面屋は言った。場違いでねえか? 女は言った。うすらだぬき。女が先にラムネを飲み干すと面屋のそれがひと口以降減らぬのを見てまったくしょうない男だねと言った。面屋は黙って前を向いていた。首筋は人だったが張り付いた狸はもう面屋の一部に見えて傍目には不気味だった。しばらくすると先程とは別の子供が老人を従えて面屋の前に立った。おめん、おめん、と子供が強請る。老人はどれがいいかねと子に尋ね、面屋は決まり文句のように、お好きなのをどうぞと言った。

「どれも要らない」

 子供がはっきりと言った。声は後ろにいた老人のそれより低い。面屋は思ったより早いなと小声で口ずさんだ。女が身構えた。それを面屋は手で制すると椅子の下に隠した木箱を取り出した。

「ほんならこっちはどうでさ?」

 面屋は木箱の蓋を開けるとそこには綿が敷きつめてあり、真ん中に茶色いかたまりが乗っていた。子供はそれを見た途端、眉を吊り上げて怒りを露わにした。ケケケ。面屋は狸の奥でせせら嗤った。老人がみるみる萎んで細い棒になった。槍のように見える。老人だった棒を子供が掴んで拾い上げ、その切っ先を面屋の喉元寸前まで突き立てた。女には焦りが見える。山茶花の香りが強まった。

「何してんだい! さっさと渡しちまいなよ!」

 面屋は動かない。刃先は躙り寄る。

「お代、まだでさ」

 面屋が言い切るが先か、槍が頸から露わになるが先か。ともあれ喉を貫かれた面屋はゴッと一度咳き込むと狸の隙間から赤い血を垂らした。女は怒りの形相で子供ーーもうそれはそうでなかったーーに飛びかかった。子供は女を腕で薙ぎ払う。女は太い幹に叩きつけられ気を失った。

「お代、まだでさ」

 子供が一瞬、女に気を取られた間、槍の先に面屋がいないのに気づくのが遅れた。その時には頭を掴まれていて、手足をばたつかせてもそれは離れようとしなかった。

「坊んず、世ん中そんな甘あない。大人しい金魚でも掬いなし」

 子供はなにかを言いかけようとしたが先に頭を握り潰された。散り際に紅く光った。面屋が草鞋でつかつかと木の幹まで歩いて一匹の黒猫を拾い上げた。

「あんた、何がしたいのよ」

「ねんこが人ん言葉話さんな。まあ無事はなんより」

 辺りはこの騒ぎと無縁に祭りが続いていた。面屋は木箱をしまうとまた椅子に座って前を向いた。少年が金魚を嬉しそうに持って通り過ぎていった。黒猫はうんざりと言わんばかりにあくびした。