アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

どうかしてるみたい

どれか一つをえらべば 
音をたてて壊れる
それが愛だなんて 
おどけて君は笑ってた

(Galileo Galilei青い栞』)

 

 えー、逝きました。眼鏡。いくつ目かはもう数えていません。これまでも踏んだりぶつけたり失くしたりといろいろやってきましたが今回は掛けようとしたら折れました。天寿です。プリッツみたいでした。

 

 眼鏡との付き合いは十七の頃よりで数えてみれば長い月日を経てきたものです。コンタクトレンズは痛そう、それだけで眼鏡をかけつづけてきました。何ページも費やして綴られたぼくらの気分です。

 

 折れたーーーーッアーーーーーッ!!

めんまーーーーッもういいーーーッかーーーッあいッッ!!

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家族の話

かぞく【家族】

同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。「──構成」

(引用:岩波書店『岩波国語辞典第七版』)

 

 つまりすみっコぐらしのことです。去ること11月3日、『映画すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎのコ』が公開されました。拍手!!

 この記念すべき家族の門出に際して、私はあろうことか別の映画を観に行くことにしました。そちらの作品については割愛しますがこれも公開初日であり、結果的に私は家族よりもそちらを選んでしまいました。

 

 ゴメン!

 

 ただ言い訳させてもらえるなら、私は家族のことを心から信頼していました。どう転んだって君たちは素晴らしく尊いのです。だから今回だけは許してほしい。こっちも観たかったんや。とはいえ私は自分が許せませんでした。どんなに信頼があったとしても彼らを裏切ってしまったのは事実です。

 私が彼らと初めて出会ったのはもう二年ほど前になりますか。厳密に言えば生まれる前から共にあったわけですが神の悪戯か悪魔の仕業、私は彼らと共有したはずの記憶を消されたがゆえに初めは彼らのことをハロー何某の仲間かなんかかと思って遠くから見ていました。

 その日は朝から暇を持て余し特にしたいこともなくただ時間を無為に過ごしていた私でした。なんか映画でも観るかと思いサブスクチャンネルを徐に開きます。これから見ようとするもののユーザーレビューをいつもは見ないでいる私でしたがその作品は異様に評価が高く、猜疑心の塊であるところの自分は「こんな子供だましの絵柄がなんぼのもんじゃい」とついつい目を通してしまいました。そこにはとにかく泣けると誰もが書き込んでおり、大人こそ観るべきなど宣う輩も多々見られたのです。私はそのことでより一層疑いを強めました。作品の名は『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』といいました。

 始まった途端Eテレのようなほわんほわんした空気がながれ、いかにも可愛いでしょといったようなあざとさを持つキャラクターが優しげなナレーションに連れらてひょこひょこ動いておりました。はいはい可愛いねえと、俺の全米はこんなもんでは泣かんよと冷めた目つきで観ておったわけです。いまいちのめり込めないせいか残りの尺なども気にする始末。こんなことなら当時ハマっていたApexの実況でも見ときゃよかったなとなってきたあたりで物語は半分あたりを過ぎた頃、私は彼らの様子に少し変化を感じだしたのです。ラスト10分、涙が止まりませんでした。思い出したのです。まだ私が一歳にも満たない頃、自分は彼らと共にあり過ごしてきた日々の記憶を。すみっコたちは私の家族でした。

 

 そんな家族が頑張る姿をこのまま見過ごしていいのか。否。否、否!否!いいわけがない!

 気づけば朝8時からの上映チケットを買っていた私でした。流石に早すぎて家族連れどころか人自体少なかったです。人が少ないことでむしろ私みたいなそこそこ歳を食った者が一人で入場する悪目立ちは一入だったと思います。関係ない。なぜならすみっコは家族だから。上映が始まってからコンマ一秒たりと見逃せる場面がありませんでした。最後の場面では逝きかけました。本作は劇場で観ることを是非おすすめします。その意味がある作品です。口にこそ出しませんでしたが心は「あぁ」とか「しろくまーーーーッ」とか「とかげ(ニヨニヨ)」と相当気色悪い仕上がりになっていたように思います。子が運動会で頑張る姿を見守る時ってこんな気持ちやねんな。

 見終わった後、私はポケットからハンカチを取り出し目元の湿りを拭き取ると外に出て空を見上げました。そしてそっと呟きます。ありがとうございました感謝感謝感謝ありがとーーーッすみっコぐらしーーーッ

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アメリカのシャーペン

 ヒロミチが大事にしていたアメリカのシャーペンが失くなった。ヒロミチはアメリカに永住権を持つ親戚のおじさんからもらったアメリカのシャーペンをとにかく大切にしていた。命の次に大事だと言っていた。自分の親よりも大事ということになる。ヒロミチは怒っていた。まだ自分がうっかりでどこかに落としただけかもしれない可能性だってあったはずなのに盗まれたのだと主張して怒り狂った。正直なところアメリカのシャーペンのどのあたりがアメリカナイズされたシャーペンなのか僕にはわからなかった。見たところただのシャーペンじゃないかと内心では思っていたのでその辺をストレートに弄ったことがある。ヒロミチは「だって銀だろ!」とその時も怒った。ヒロミチにとってアメリカとは銀だったのだ。であるならば給食の献立がカレーやシチューだったりする時に間違いなく配られるスプーンだってアメリカなはずである。けれどヒロミチがスプーンに対してアメリカを感じる様子はなかった。とりあえずヒロミチのアメリカのシャーペンはどこかへと消え去り一向に見つからないまま時間が過ぎていった。ヒロミチは手当たり次第他人に疑いをかけて問い詰めだす。しかしヒロミチの尋問対象には明らかな法則性が見てとれた。ヒロミチが「勝てそう」な感じのクラスでは割とおとなしめの連中から標的になっていたのだ。ヒロミチは手がつけられないほど泣き喚きながら彼らを詰めていった。将棋ならば飛車角の動きを同時にしていた。将棋ならば敵なしだがこれは現実でそんな傍若無人の態度は許されなかった。クラスのリーダー格であるジンくんが遂に口を開く。

「そんなに大事なもんなくしたお前がいちばん悪いだろマヌケ」この言葉にはヒロミチも法則を捨てた。体格にしても性格にしても何もかもと言ってしまえるほどヒロミチが「勝てない」であろうジンくんに対して怒りの矛先を向ける。ヒロミチは「お前か!」と言うと同時にジンくんに掴み掛かりそのままジンくんを押し倒してしまったのだ。女子達は突然の出来事に悲鳴をあげた。「先生呼んでくる」と言って二人ほど教室から出ていった。その間もヒロミチとジンくんはどんどんヒートアップしていよいよ笑えなくなってきた。「アメリカの! シャーペンなんだぞ!」ヒロミチは言う。あれはアメリカのシャーペンなのだ。国産のシャーペンならこうはなっていない。そのシャーペンがアメリカで製造されてしまったことに端を発する悲劇だ。「知るかよ!」ジンくんの意見はもっともだ。そうだ。誰も知らん。だいたいシャーペンがアメリカ産だからってこんなに怒るか普通。いや大事なのは分かる。なら大事に扱っておけよというジンくんの意見には隙がなさ過ぎた。よってヒロミチは本来なら勝てないはずのジンくんと拮抗している。アメリカのシャーペンは僕が思うより奇跡的なのかもしれない。だったらこれはなんだ。掃除用具入れとロッカーの隙間に落ちていたソレを僕はちゃっかり見つけてしまっていた。

メイドインマレーシアのシールが貼られたアメリカのシャーペン。ヒロミチが目下アメリカ製を主張中のマレーシアのシャーペン。塾はすごい。塾に行っていたおかげで読めてしまう。メイドインマレーシア。それが手元にある。

アメリカの! アメリカなんだぞ!」

「だからなんだってんだよ!」

「馬鹿にするなよ!」

「シャーペンじゃねえだろお前が馬鹿だっつってんの!」

 もうやめてあげてくれ。そんなことはもうみんながみんな魂で理解してしまっている。それよりもなによりもそもそもがアメリカじゃないんだ。この戦いに勝者はいない。そして今更これをどうしたものかとあぐねいている僕がタイミングを見計らっていた矢先、女子達が先生を連れて戻ってきた。

「コラ! お前ら何をやっとるんだ!」

 ヒロミチとジンくんは簡単に引き剥がされる。大人の力はすごい。アメリカでは越えられない。

「先生! あれは! あれはアメリカのシャーペンなんですよ!」

アメリカ?」

 ヒロミチはずっと泣いていた。いよいよ哀れみさえ感じる。考えてもみればアメリカのシャーペンはおじさんからの贈り物だ。アメリカの響きに引っ張られていたのはむしろ僕たちなのかもしれない。ヒロミチにとってはアメリカのシャーペンである前にそれ以上の思い入れがあったのかもしれない。それが不注意とはいえ失くなったのだ。冷静さを欠いてとりあえずアメリカを言っていただけかもしれないじゃないか。たとえそれがマレーシアだとしてもヒロミチにとってはアメリカだ。ここに来てようやく僕はそんな思いに気づいた。

「先生、ヒロミチのアメリカのシャーペンがなくなっちゃったんです」

アメリカのシャーペン?」

「ヒロミチがヒロミチのおじさんからもらったアメリカのシャーペンなんです。そうだよなヒロミチ」

「銀なんだぞ!」

「銀なんです先生。シャーペンは銀でだからアメリカなんです」

「イワタお前何を言ってるんだ」

「先生、今からみんなで探してあげませんか。ヒロミチの銀のアメリカのシャーペン」

 クラスが纏まりを見せ始める。必死な者、情けをかける者、渋々参加する者。それぞれの想いはあれどみんなで一つの目的を成そうとしている。これだったのだ。僕はポケットの中を覗いた。銀色だ。みんなこれを探していた。ずっとアメリカのシャーペンを探していた。

 

『Lies of P』嘘をつき倒しました

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 イタリアの童話『ピノッキオの冒険』の世界観をモチーフとした韓国産アクションRPGである本作はフロムソフトウェアの代表作『ダークソウル』等に見られるソウルシリーズを踏襲するソウルライク作品となっており高い難度を設定された所謂死にゲーです。この手のジャンルは何度も敵に倒されながら徐々に相手の動きやマップの配置を覚えて攻略を目指すというのが醍醐味となっております。

 

 これらを踏まえた上でこの『Lies of P』がどんな内容のゲームだったかを話すととても難しい!!そして無茶苦茶気持ち良くない!!

 初手文句です。但しそうは言ってもだから面白くないと直結するわけではないです。それでは『Lies of P』の良いとこ悪いとこを話していきましょう。

 

 まずは良い点。なんといっても本作、それはもうソウルライクです。真新しさなど微塵の隙もないです。それが良い点なのかとなるかもしれませんが私は妙なオリジナリティを発揮してソウルシリーズのシステムが持つゲーム性を阻害しなかったという点においてかなり評価しています。ソウルライクを期待して臨んだものとしてはそのクオリティに関して大変満足できるものでした。あーダクソやってんなあという気持ちにしてくれます。

 ここは良し悪し関係なく申し上げますが、いいですか。ダクソです。ブラボではありません。SEKIROではちょっとあります。ブラボではないです。ダクソです。これで察してください。

 次に世界観。こちらはピノッキオをモチーフにしたダークファンタジーということで元々童話と暗黒的なものには親和性が高く、例えば「本当は怖いグリム童話」などのようにそれらの原作といえば寓話の中に当時の歴史的背景を含んだ残酷さが織り交ぜられています。本作はそういった部分の落とし込みが抜群でピノッキオを主軸に陰鬱な空気が心地よく漂っております。シナリオの随所に原作を踏まえた設定が施されながらそれでいてしっかりとした物語になっています。その中で動き回るキャラクターも味方は美麗で敵はグロテスクと大変わかりやすい対比。ボリュームもあってスムーズにやっても2、30時間は遊べるんじゃあないでしょうか。

 細かい部分で言うと、エスト瓶つまり回復薬ですが本作におけるパルス電池は実質無限です。ソウルシリーズではこれを使い切ってしまうと一度篝火(セーブポイント)に触らなければ復活しません。ブラボに至っては周回必須の有限資源です。ライズオブPでは仮に回復を全消費しても敵に攻撃することでパルス電池が充電され満充電されると1回分復活します。これによって絶望値が若干緩くなり、回復を惜しまず果敢に攻めるという選択をプレイヤーに与えている。これは今までになかった部分なので「ライズオブPやるやん」という点ですね。

 また武器ですが、基本的に刀身と柄を他のものと付け替えれるようになっています(一部特殊武器を除く)。刀身は火力と属性、柄はステータスの補正値と攻撃モーションを担っており、それらをカスタマイズすることで単純火力にビルド補正を乗せたり自分が使いやすいモーションの武器に変更出来たりするのです。これによって自分の好みを探す楽しみが生まれたり少ない資産で武器強化出来るのも良い点です。私の場合は〈酸性の大曲刀ブレード〉に〈ブースターグレイブの柄〉を組み合わせたものを技量特化で使ってました。見た目も産業革命薙刀(?)という感じでカッコいいのですがガードによるダメージ軽減率も高くリーチもそこそこあり、刀身が大剣で敵を怯ませやすい反面振りが遅くスタミナ消費も大きいといったバランスの良さが気に入ってます。このように「俺が考えた最強の厨二武器」を見つける楽しさが本作にはあります。

 

 

 さて問題はここからです。本番と言ってもいい。冒頭で大声をあげて叫んだライズオブPが気持ち良くないと思われる由縁を話していきます。

 第一に本作におけるジャストガードといったアクションの重要性を説くと、これは敵の攻撃に合わせてタイミングよくガードを入れることで通常ガードならばいくらか持ってかれる体力を消費することなく弾き返すことができます。またSEKIROのように相手の体幹を削りスタッガーを取って致命攻撃へと発展させる役割をも担っておりジャストガードを上手く決めることで戦闘時間を大幅に縮められる仕組みになっています。さてこのジャストガードまあ決まりません。というのも本作の敵はこれでもかというくらいディレイを多用してきます。ディレイとは攻撃のヒットタイミングを振りモーションから微妙にずらしてくる陰湿行為のことです。雑魚モブでさえこの有様でステージによってはボスより鬱陶しい中ボスが存在します。このディレイによってジャストガードを狙うタイミングがかなりズレるので目視というよりかは手癖で合わせることになります。と思いきやそのディレイに慣れた頃には同モーションで振り速度だけ変えてくるバカなことを平気でやってきます。いとも容易く行われるえげつない行為、D4Cです。ジャストガードの判定はただでさえシビアなのにタイミングずらしてずらして敵だけが楽しい時間が延々と流れていくのを我々はブチギレながら眺めることになります。なら回避メインで立ち回れば良いのでは?となりますが基本的に回避性能はカスです。ある程度進むと多少強化できる要素が解放されますがとはいえ序盤はスタミナ消費が厳しく回避をメインに置くとあっという間に疲れ果てます。そこに容赦なく異常射程で距離を詰めてこられるのであっという間にLie or Die 死です。もう言いたくありませんがフューラルアタックと呼ばれる通常ガード出来ないジャスガでなければ受けれない攻撃まで存在し、間合いによっては覚悟を強いられます。挙句ジャスガも許さない投げ攻撃に至ってはフューラルアタックのように赤い発光を放つ予兆もなく初見時は覚悟もさせてくれません。このようにプレイヤーは幾度も敗れることになります。死にゲーですからそれは致し方ありません。ですが……ですがです。よっしゃ次!!とはならんのや。覚えることが多いのに殆ど見れないまま死ぬ場面が多く、ようやくスタッガー決めれるチャンスが訪れても敵が途端暴れ出し追撃を許さないこともあってもうストレスが半端じゃないです。

 ジャストガードは確かに重要です。その割にリスクがかなり大きくリターンがあまりに低いので結局正解といったものが見えづらくなってしまってます。意地でもジャスガのタイミング見切ったほうが近いのか、ガン逃げしてチクチク殴ったほうが近いのか、そのことに気づくまでの時間がもう遠い。偶然パンチで勝てることもなくはないですがしっくり来ないんですよね。勝てたという喜び自体は残るがそれ以上も以下もなく「結局あいつはなんだったんだ」となってしまうのは強ボスと対峙した重圧から解放されきれてない気がしてしまいます。

 ボスに関してはもう一点。中盤以降基本HPバー2ゲージです。第二段階が多すぎる。召喚士は通す、ガードも通す、初見プレイヤーは通さない。ロンゾの面汚しである我々はまたしても何も知らされず倒しきったはずのボスが全回復&モーション全様変わりして突っ込んできます。終盤は逆に知ってたとなります。知ってたからといって出来ることなどほぼありませんが。良い点で申し上げた回復薬実質無限ですが溜まる前に逝くので心配しないでください。

 初見殺しという点ではマップもですね。とにかく落下罠が多い。落ちたらそこはもちろんモンスターハウスです。ロンゾの面汚しである我々はこのようにして迂回を強要されることになっていきます。マップの作り自体は無茶苦茶悪いわけでもないですが随所にカッタイ中ボスが配置されており超高校級の絶望が間髪入れてくれません。そいつらは何故か次の経路への鍵になっていたり重要な強化アイテムを持たされており倒さなければといった義憤に駆られるわけですがたまになんもないのがいて笑います。もう笑ってしまいます。

 

 さて良い点と悪い点を幾つか挙げてきましたが、まだまだ言い足りない部分もあります。通しでやってみた感想としては上記のような惜しさも感じつつ、それでもソウルライクとしての出来はかなり高い作品だと感じました。文句言いながらもこの歯応え、難易度に熱くなったのも事実です。ですからもしこれを読んでいただいてライズオブP気になってはいるけどどうなんだろう?と迷われている方がいらっしゃったら私は強く申し上げます。

 

SEKIROやれ

 

 

 

 

『アーマード・コアⅥ』火をつけました燃え残った全てに

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 去る2023年8月25日、満を持して発売された『アーマード・コアⅥ』ですが昨日全ミッションを終え全てのストーリーを拝みました。

 私は今シリーズの熱狂的なファンというわけでなく他はACAAくらいしかやったことがないにも拘らず本作の発売を楽しみにしてました。それは当時、友人から面白いゲームだと紹介されて触ったアーマード・コアっちゅう聞いたことはあるがよく知らないロボゲーにあまりにもハマってしまった思い出があるからでした。その後テレビゲームそのものから遠ざかっていたのがここ数年で再燃し、本作の発売メーカーでもあるフロムソフトウェアさんには『ダークソウル』をはじめ大変お世話になりました。そんなフロムさんが凡そ10年の歳月を経て遂にACの新作を出すというニュースが飛び込んできた時には流石にテンションが上がり発表トレーラーを何度も見返してしまいました。海外ファンの歓喜リアクション動画も何遍も見返して「そうだよな」と人知れず共感していました。それが先月8月遂に発売したんです。

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 準備は万端でした。気づいたらPS5がウチにありました。しかしまだ発売日ではありません。なのでせっかくだからプレステでしか現状プレイ出来ない『Blood bone』を買って待ちました。これがめちゃくちゃ面白くてACのことなんかほぼ忘れて漁村で絶叫しておった日々です。だが時は来た。来てしまった。『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』リリース。

 

 起動する瞬間、かつてアーマード・コアに触れた思い出が走馬灯のように蘇り、セラフ(ACAAの隠しヤケクソボス)許せねー! 騙さないでくれよランバージャック! などと思いつつようやく動かせるとなった瞬間の感想「ウォーーーッ」「綺麗ーーーッ」「速ぇーーーッ」「ちょまドコ行くーーーッ!?」と心身共に完全に制御を失いました。雪崩れ込むままチュートリアルミッションに突入した私はオペレーター役のハンドラー・ウォルターに従ってACをビュンビュン動かしながら嬉ションちびりそうになって危なかったです。

 

 最初の関門、X(旧Twitter)のトレンドにもなっていたAH12 HC HELICOPTER。もう誰も正式名称で呼んでません。「最初のヘリ」「ルビコプター」「フロムの洗礼」などなど。とにかく強いボスとして多くの人が叫んでおりました。コイツの何が強いってプレイヤーはまだACの操作に不慣れ状態でいきなり戦わさせられるとこです。どうしたらいいの?となっているうちに抹殺される。チュートリアルはパーツも貧弱で今作の醍醐味でもあるアセンブルも出来ません。あまりにもな初見殺しに「騙して悪かったな」「やはり死にゲーか」となるわけです。とはいえそれでも当然攻略法は存在し、それを探るうちに本作におけるACとは何かがわかってくる導線になっています。ACはソウルシリーズになったと揶揄する声もありますが私は今作にこの10年で培われたフロムとしてのエッセンスが詰まっているとここで実感しました。そりゃ10年もありゃ変化もするだろうし多少なりともコレジャナイという感想がチラホラするのはわからなくない。ただ一旦バイアスを取り払って目の前の画面を見た時、自分が動かしているロボットはあまりにも肉体的で慣れなかった動きが徐々に馴染んでくる。アニメ『機動戦士ガンダム』で後に連邦のエースパイロットとなるアムロ・レイは初めてガンダムコクピットに乗り込んだ時こう言いました。こいつ……動くぞ……。最初は誰もが不慣れです。それが実戦を経る度に成長を感じることが出来る。このチュートリアルミッション。私は初見時かなりギリギリで勝ちましたが3周目までクリアした今となっては初期アセンの未強化なACでもリペア未使用で完封出来てしまいます。だから何度も負けても諦めなければいずれ勝てるという実感自体はACらしさやソウルっぽさとか抜きにしてゲームプレイヤーとしての充実感を与えてくれる良設計だと思いました。

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 AC6がダクソやSEKIROと具体的にどう違うかといえば豊富なパーツの組み合わせによるアセンブルというシステムでしょう。ここはプレイヤーによって意見というか拘りの違いがあって、すんげー強いボスを前に何がなんでもこの組み合わせで勝ちたいと拘ればそれは茨の道になる可能性があります。敵には雑魚であれボスであれパターンがあり、その対処は多種多様ですが明らかに戦いやすいアセンブルというのがあります。例えば鬼門と言われるバルテウスというボスはシールドを展開し耐久を維持しつつ到底避け切れるとは思えない弾幕で猛攻を仕掛けてくる序盤の強敵です。私は何回も負けました。コントローラーは手汗でベチョベチョです。絶対勝てねーと思わせてくるボスですがこれもそこまでで手に入る武器で対処出来るようにはなっています。パルスガンなる武器はダメージこそカスみたいなものですがバルテウスのシールドを剥がすためのこの時点での最適解であり戦闘時は格段に楽になります。しかしここで「いいや、パルスガンなんてダセェ武器は使わねえ! 俺はこれでいく!」と拘ると図らずとも縛りプレイのようになり、アセンブル次第では難易度が跳ね上がります。それをカバー出来るプレイヤースキルがあれば解決出来ますがこの辺は熟練者の域であり中々難しいところです。ここでは魂を売るのが許せない頑固者が馬鹿なわけでもなく、勝ちだけに拘る装備が逃げなわけでもない。それぞれの選択がその人にとってのプレイスタイルであり正解なわけなので、最後に勝って叫んだら過程はどうあってもいいと私は思います。諦めないことの大切さはSEKIROで嫌というほど教わったので。

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 ここから若干シナリオについて語ると、今作AC6……めちゃくちゃエモいです。スピード感あるロボット同士のヒリつく攻防は言うまでもないですが、それらを操る中の人達はそれぞれが個性的で様々な背景を背負っています。アーマード・コアにはシリーズ通してキャラクターの「顔」というものが存在しません。基本的に「名前」と「声」しかなくAC乗りならば「機体」だけが彼らの個性です。けれどその「顔」が見えないところにめちゃくちゃ「表情」を感じてしまう。たとえばプレイヤーであり主人公でもあるC4-621その上司にあたるハンドラー・ウォルターですが発売前まではラップ巻きにされた死体のような621をAC乗りとして使い捨ての駒にする冷血な人物像を予想されていました。ところが蓋を開けてみれば誰よりも621を思い、信頼し、見捨てないただただ良い人として映ると思います。先述したようにウォルターも結論から言えば最後までその「顔」を見せることはありませんが、それまでの621をはじめとする他キャラとの会話や交流を通じてウォルターとはこんな人物であることを明確にプレイヤーへと植え付けてくれます。ここで621がプレイヤーの反映であるゆえに「声」すら持たないわけです。無言のラップ巻き。言ってしまえば「物」と考えたほうが近い。ウォルターやエア、戦友ラスティ、その他企業勢との関わりを持ちながら物語に巻き込まれるうちに一人の「人」になっていくのがもうすごい。めーーーちゃくちゃエモい。もうめーーーちゃくちゃ人間。なんにも喋らないんですよ? 指示を受けてミッションをこなしているだけの脳を焼かれた強化人間なんですよ? そんな621が終盤になると「自分」の「道」を決める選択をするんです。あーーーーッもーーーーーッ……ウォルターは621に対して物語の初めにこう言います。「お前に意味を与えてやる」

 

 今作はその621の選択によって3通りの結末を迎えます。そのどれが正しかったとかはないというかプレイヤーの数だけ解釈があるようなつくりになっており確固たる正義はありません。ただこのルビコンでの戦いを通して621が見てきたものは621という無味な存在を通してプレイヤー自身に強烈に訴えかけてくるものがあります。我々は確かにここにいたんだと。そうだろ? 戦友。

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FF16クリアしました(完全版)

 FF16一先ず1周目クリアしました。なのでできるだけネタバレ回避して感想を残しておきたいと思います。ちなみに私はファイナルファンタジーのナンバリングタイトルだと9までしか手をつけておらず今作は久々のファイナルファンタジーであることを断っておきます。

 

 いきなりですがFF16はおもしろいのかどうかを私の中ではっきりさせとこうと思います。私の意見は「めちゃくちゃ面白かった」です。久しぶりのファイナルファンタジーというビッグタイトルに正直なところ不安もありました。過去のシリーズでの体験なども鑑みるとどうしても期待してしまう。はじめて7を触った時の感動は当時のものでしかないけれどずっと残っているので、このおぼろげな記憶と今やろうとしている16が同じ看板である以上はそうなってしまいました。ただそんな不安はゲームが始まった途端払拭されたように思います。主人公クライヴ・ロズフィールドの復讐を起点とする重厚な背景の前では余計な考えなど過ぎらずただただ物語の行末に没入していました。

 

ゲームシステムについて

 本作はこれまで(少なくとも私がプレイ済の)FFと異なり敵とのバトルにおいて基本アクションゲームとなっています。コマンド選択に応じてキャラクターの行動が決定しターン制で進む従来のFFとは大きく異なる感触でした。SNS上ではデビルメイクライの名前がよく挙がっているように思ましたがまさにそんな感じです。ただよくよく見てみるとFF16もまたコマンド制ターンバトルの色香は残されておりそこにシリーズの精神を感じました。確かに見映えや操作感はアクションなのですが敵の動きには法則性があり、見極めると待つべきタイミングが生じます。ここがつまり相手のターンみたいなもので、その一連が終息すると反撃のチャンスが与えられ自身の有利タイミングになります。実際は手持ちのポーションなどでゴリ押せたりもするのですが例えばノーダメージクリアなどを意識するとより攻守の拮抗が感じられると思いました。そう考えるとバトル一つとっても楽しみ方に幅がありプレイスタイルが出るところではないでしょうか。アビリティをカスタマイズしてコンボを開発するのも楽しいですしね。

 微妙な点も挙げておくと難易度の面からいえば1周目はそう難しくもないところで設定されています。ストーリーかアクションのどちらを重視するか選択できますがこれをアクションに設定してもゲーム慣れしてる人はそう難しく感じないでしょう。ゲームが進むにつれてシステムに慣れてくればくるほどそこは如実で、ゆえに単調な、所謂作業的なバトルだと感じてしまう方もいるかもしれません。個人的には勝つか負けるかのヒリヒリした緊張感を求めてしまうので無闇にレベル上げをせず抑えたけれどもそんな感想を持ちました。反対に言えばアクションゲームにそれほど自信がない人でも楽しめる敷居の高さにはなっていると思います。一部の操作をオートにするアイテムなどもあり出来るだけ多くのプレイヤーに作品を見届けてほしいという製作陣の想いは伝わってきます。

 また本作の魅力の一つである召喚獣バトル。これはそうですね。いい意味でバカです。デカブツの怪獣がスピーディーに暴れ回りながらドッカンドッカンぶつかり合うところは見ているだけで胸が高鳴ります。これがゲームプレイとなると長いと感じる方もチラホラ見かけましたが確かに疲れます。それぐらい濃い体験をやってるといえば良く言い過ぎかもしれませんが総評すると楽しさが増すところで中々他のゲームで体験出来るものでもないのかなと思います。これはFF補正もありますが召喚獣ってのはこれくらいダイナミックな戦いをしてくれるんだとイフリートやバハムートの立場から感じられるドミナントの設定は素晴らしいと思いました。ドミナントの力についてもう一歩踏み込んで話すと本作は基本的にクライヴ以外だとトルガルに指示が出せるくらいで操作出来る仲間というものが存在しません。ジルやシドなど道中で戦闘に参加してくれる仲間は存在しますが存在感はオマケ程度。従来のFFのようにパーティー編成を楽しんだり思い入れあるキャラクターを育てたりすることは出来ません。アクションゲームの特性上同時に複数のキャラを操作することはほぼ不可能なのですが、そこでドミナントというわけです。ドミナントとは召喚獣を自らに憑依させる異能者達のことを指します。クライヴは物語の途上で彼らと出会い様々な経緯の先でその力を引き継ぐことになる。それらはクライヴのアビリティとしてバトルで使えるようになるのですがこの流れが疑似的なパーティー要素となっています。FF16の魅力ある登場人物達を操作することは叶いませんが能力だけは発揮できるわけです。そういう意味で考えると私の最終的なパーティー編成はクライヴ、ジョシュア、ジル、フーゴでした。フーゴ(タイタン)のアビリティ気持ち良すぎるだろ。

 マップやダンジョンに関しては進行がほぼ一本道で寄り道としてはサブクエがあるくらいで特に探索などする必要がありません。大変親切ですが好みは分かれると思います。宝箱は開けても大したものが入っておらず、装備はストーリーが進むに連れて勝手に強くなってくるので大陸を巡る楽しみは殆どないと言っていい。武器ステは攻撃力とウィルゲージ(敵の耐久力)削りくらいで縛りでもしない限り数字の大きい武器が正義になってしまいせっかくそれぞれ固定グラがあるのにすぐ弱武器になるのは少しもったいない気もしました。リスキーモブなる強敵の配置はありますが隠しボスというほどでもなくどこかのダンジョンに最強装備が眠っているようなことも特になさそうなので、強いてあげるならブドウや市場の野菜のグラがいいとかトルガルと散歩できるとかまあそのくらいです。ただ前述したサブクエに関しては出来る限り回られることをオススメします。サブクエといえば特にストーリーには抵触しないオマケ要素みたいな印象がありますがFF16に至ってはガッツリ関わってきます。本編では語り切れなかった(敢えてか)世界の背景についてモブキャラやメインキャラから学んでいくような仕様で、おつかい感はありますが報酬云々ではなく読み物としての意義があります。特に終盤で発生するものはどこがサブストーリーなんだというくらいクライヴという主人公を軸にしたものが湧いてくるので彼のキャラクター像を知るうえでも見逃せないでしょう。サブクエの配置はおそらくゲーム全体のテンポ感に幅を持たせた結果で、寄り道しないでとにかくFF16を見届けたいという人に対しての仕様かと思いました。ただやるやらないで最後エンディングを迎えた時の印象はかなり異なったものとなるのは間違いないのでガッツリ味わいたいなら回収推奨です。サブクエ同様に重要になってくるのがアクティブタイムロア。これはNPCであるハルポクラテスに旅の経緯を伝えることで読めるようになるヴァリスゼア版Wikipediaです。クライヴの見聞を伝えただけのはずがハルポクラテスの持つ知識が足されてか「え?そうだったの?」みたいな大事なことが書かれていたりするので読んでいると世界観をより深く掘り下げることが出来る仕様になっています。話はそれますがハルポクラテスとはギリシャ神話の神の名で、エジプト神話でいうところのホルス神を指す存在です。月が意味深に描かれる本作において太陽神であるホルスを識者として描く意味などを考えてしまいますね。

 

 本編シナリオについて

 本作のシステムまわりについてざっくり説明しましたが作品の肝となるストーリー自体はどうだったか。なかなかネタバレを控えて語るのは難しい部分ではありますが、この物語には幾つかの重要なキーワードがあります。その一つが「ベアラー」です。ベアラーとは魔法をクリスタルを用いずに使用できる人々を指すのですが彼らはヴァリスゼアにおいて差別的な処遇にあり一般の人々から奴隷として扱われます。道具として活用される一方で存在は疎まれている。そんな彼らにも人として生きていける世界をつくることがシドの願いでありクライヴの大義となっていきます。初めは復讐に生きた青年が奴隷解放のため尽力する中で世界の敵と出会いヴァリスゼアを人として生き抜くために戦う、というのが大まかな流れなのですがテーマがテーマなだけに序盤は暗く鬱屈とした展開が続きます。これ皆んな死ぬのでは?という不安さえ覚えるほど戦記物としてのシリアスさがある。この空気感が先程少し述べた世界の敵に近づくにつれてやや大がかりな話になってくるのですが個人的な話をすると話がでかくなりすぎて前半とのコントラストが濃く分かれてしまったように感じました。ここで首を傾げるかもしれませんがそのまま突き進んでください。クライヴを信じてあげてほしい。最初から最後までクライヴはクライヴ・ロズフィールドなので。ベアラーが奴隷問題を描き、クリスタルが環境問題を比喩する世界で人と自然の抱える課題についてクライヴが出した答え。これがファイナルファンタジー16です。

 

 クライヴ・ロズフィールドについて

 最後に本作の主人公クライヴ・ロズフィールドについて話したいと思います。私が今作で久しぶりにFFをやろうと思った動機が彼でした。好きな方々には申し訳ないですが私が10以降シリーズに触れなかったのは主人公がイマイチに感じてしまったからで実際プレイすれば印象は変わると思うのですがそんな理由があります。ただ16に関してはクライヴが主人公として発表された時に「ヴッッ?かっこよ……」と思いました。私はバットマンがめちゃくちゃ好きなのですが、クライヴのデザインは配色がかなり好みでどことなく影があり、私の好きなダークヒーロー感が滲み出ていたのでそりゃあ好きだよとなってしまったわけです。重い腰をあげて全ての進捗が終わる覚悟で本作を購入しました。いざ対面したクライヴ。ドチャクソガッゴエェエエエ!!! ……すみません。取り乱しました。クライヴという男、身勝手で無鉄砲で弱くて弱くて優しくてだから強い男でした。彼のひととなりを通して魅力的に映る周囲の人々。ラストバトル手前での彼の目に映った仲間たちの姿を見ると自分はクライヴで戦ってきたけどこれだけの人達がしっかりついてきてくれたんだなと思えて感慨深いものがありました。相対する自分達の敵にも彼らなりの矜持や経緯がありますが「そんなもん知るか俺は俺だ」みたいな態度ほんとに好き。理屈とかあるよ。倫理もある。我儘には生きられない。そんな現実があるからこそクライヴの「知るか」が清々しいまである。それが拝めただけでも私はFF16をやってよかったと思います。よねち(米津玄師さん)もうええてとか思ってごめんな。クライヴの物語を締める歌は『月を見ていた』しかなかったです。ありがとうございました。2周目ファイナルファンタジーモードで始めました。敵硬すぎです。しばらくやりません。でもありがとうございました。FINAL FANTASY XVI大好きです。