アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

アメリカのシャーペン

 ヒロミチが大事にしていたアメリカのシャーペンが失くなった。ヒロミチはアメリカに永住権を持つ親戚のおじさんからもらったアメリカのシャーペンをとにかく大切にしていた。命の次に大事だと言っていた。自分の親よりも大事ということになる。ヒロミチは怒っていた。まだ自分がうっかりでどこかに落としただけかもしれない可能性だってあったはずなのに盗まれたのだと主張して怒り狂った。正直なところアメリカのシャーペンのどのあたりがアメリカナイズされたシャーペンなのか僕にはわからなかった。見たところただのシャーペンじゃないかと内心では思っていたのでその辺をストレートに弄ったことがある。ヒロミチは「だって銀だろ!」とその時も怒った。ヒロミチにとってアメリカとは銀だったのだ。であるならば給食の献立がカレーやシチューだったりする時に間違いなく配られるスプーンだってアメリカなはずである。けれどヒロミチがスプーンに対してアメリカを感じる様子はなかった。とりあえずヒロミチのアメリカのシャーペンはどこかへと消え去り一向に見つからないまま時間が過ぎていった。ヒロミチは手当たり次第他人に疑いをかけて問い詰めだす。しかしヒロミチの尋問対象には明らかな法則性が見てとれた。ヒロミチが「勝てそう」な感じのクラスでは割とおとなしめの連中から標的になっていたのだ。ヒロミチは手がつけられないほど泣き喚きながら彼らを詰めていった。将棋ならば飛車角の動きを同時にしていた。将棋ならば敵なしだがこれは現実でそんな傍若無人の態度は許されなかった。クラスのリーダー格であるジンくんが遂に口を開く。

「そんなに大事なもんなくしたお前がいちばん悪いだろマヌケ」この言葉にはヒロミチも法則を捨てた。体格にしても性格にしても何もかもと言ってしまえるほどヒロミチが「勝てない」であろうジンくんに対して怒りの矛先を向ける。ヒロミチは「お前か!」と言うと同時にジンくんに掴み掛かりそのままジンくんを押し倒してしまったのだ。女子達は突然の出来事に悲鳴をあげた。「先生呼んでくる」と言って二人ほど教室から出ていった。その間もヒロミチとジンくんはどんどんヒートアップしていよいよ笑えなくなってきた。「アメリカの! シャーペンなんだぞ!」ヒロミチは言う。あれはアメリカのシャーペンなのだ。国産のシャーペンならこうはなっていない。そのシャーペンがアメリカで製造されてしまったことに端を発する悲劇だ。「知るかよ!」ジンくんの意見はもっともだ。そうだ。誰も知らん。だいたいシャーペンがアメリカ産だからってこんなに怒るか普通。いや大事なのは分かる。なら大事に扱っておけよというジンくんの意見には隙がなさ過ぎた。よってヒロミチは本来なら勝てないはずのジンくんと拮抗している。アメリカのシャーペンは僕が思うより奇跡的なのかもしれない。だったらこれはなんだ。掃除用具入れとロッカーの隙間に落ちていたソレを僕はちゃっかり見つけてしまっていた。

メイドインマレーシアのシールが貼られたアメリカのシャーペン。ヒロミチが目下アメリカ製を主張中のマレーシアのシャーペン。塾はすごい。塾に行っていたおかげで読めてしまう。メイドインマレーシア。それが手元にある。

アメリカの! アメリカなんだぞ!」

「だからなんだってんだよ!」

「馬鹿にするなよ!」

「シャーペンじゃねえだろお前が馬鹿だっつってんの!」

 もうやめてあげてくれ。そんなことはもうみんながみんな魂で理解してしまっている。それよりもなによりもそもそもがアメリカじゃないんだ。この戦いに勝者はいない。そして今更これをどうしたものかとあぐねいている僕がタイミングを見計らっていた矢先、女子達が先生を連れて戻ってきた。

「コラ! お前ら何をやっとるんだ!」

 ヒロミチとジンくんは簡単に引き剥がされる。大人の力はすごい。アメリカでは越えられない。

「先生! あれは! あれはアメリカのシャーペンなんですよ!」

アメリカ?」

 ヒロミチはずっと泣いていた。いよいよ哀れみさえ感じる。考えてもみればアメリカのシャーペンはおじさんからの贈り物だ。アメリカの響きに引っ張られていたのはむしろ僕たちなのかもしれない。ヒロミチにとってはアメリカのシャーペンである前にそれ以上の思い入れがあったのかもしれない。それが不注意とはいえ失くなったのだ。冷静さを欠いてとりあえずアメリカを言っていただけかもしれないじゃないか。たとえそれがマレーシアだとしてもヒロミチにとってはアメリカだ。ここに来てようやく僕はそんな思いに気づいた。

「先生、ヒロミチのアメリカのシャーペンがなくなっちゃったんです」

アメリカのシャーペン?」

「ヒロミチがヒロミチのおじさんからもらったアメリカのシャーペンなんです。そうだよなヒロミチ」

「銀なんだぞ!」

「銀なんです先生。シャーペンは銀でだからアメリカなんです」

「イワタお前何を言ってるんだ」

「先生、今からみんなで探してあげませんか。ヒロミチの銀のアメリカのシャーペン」

 クラスが纏まりを見せ始める。必死な者、情けをかける者、渋々参加する者。それぞれの想いはあれどみんなで一つの目的を成そうとしている。これだったのだ。僕はポケットの中を覗いた。銀色だ。みんなこれを探していた。ずっとアメリカのシャーペンを探していた。