アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

はねやすめ

 "夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる

 鷹はきっと 悲しかろ" -手嶌葵「テルーの唄」-

 

 仕事中にみつけました。段ボール箱の上にとまった蝶。私はかなり近づきました。テルーの唄を歌いながら。テルーの唄とは手嶌葵さんが歌う映画『ゲド戦記』の主題歌でもあった曲で優しくもせつない切なげで優しい曲です。だからきっと蝶も聴き入る=落ち着く=逃げないだろうといった算段があってテルーの唄を歌いながら近づいたのです。惜しむらくは私が手嶌葵さんではなく一般おじさんなのでテルーの唄の優しくもせつない切なげ優しい感じを純粋に再現できないところでしたがそれでも蝶は逃げずに段ボール箱にとまったまま私の接近を許しました。本来ならば業務中にテルーの唄を歌いながら蝶に接近を試みることは規定違反にあたるので私はなんらかの処分をうけて然りでありますが、その日は私ひとりの出勤日ということもあって咎める者もいませんでした。かといって良識を貫くならばテルーの唄を歌うべきではなかったし蝶に近づくべきでもないのです。ただ事実として私はテルーの唄を歌っていたし蝶にも近づいていました。ここだけの秘密にしてください。

 さて、なぜ私は蝶に近づこうと思ったのかを振り返ってみます。それを初めて見る子供だったわけではありません。殊更昆虫が好きなわけでも。だったならなぜ蝶に近づこうと思ったのか。それはきっとこのどうも乗り切れない周りが休んでいる中で一人業務にあたっている時間に張りがほしかったのだと私は思うわけです。テルーの唄もなんとなく歌いたいというのが前々からどこかにあって私はそういった小さな欲望を仕舞った箱を開けたいと蝶を見つけた瞬間に思ったわけです。ルールでは縛れない偶然性に誘発するパワーです。

 それから蝶はずっと飛び立ちませんでした。そこに蜜などあろうはずもなく何故かと思えば翅休めだったろうとは想像します。もしくは歌がうけたのか。けれど幾分私も業務中であるうえにテルーもフルコーラスしてしまったわけで、ならお互いに自由にしようと話し合って窓を少しだけ開けて仕事に戻りました。

 業務を終えて戸締りをする頃には蝶もいなくなっておりました。充分に休まったのでしょうかね。入れ替わるようにして私が休む番が回ってきたわけですが私には私を落ち着かせようとテルーの唄を歌いながら近づいてくれるような蝶、もしくは人などいないわけで、いたらいたでどうなんだというのもありますがそんな機会に恵まれたなら私はきっとすべてを察して優しく笑うと思います。本日もお疲れさまでした。

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