アントーニオの肉一ポンド

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カシュニッツ「白熊」

 夫が帰宅する。自室は暗く声だけが聞こえる。暗がりの向こうからそれ以上近づこうとしない夫の声は彼のものだが姿は一向に見えない。妻は夫の態度を不審に感じる。会話だけが続く中暗い部屋とは反対に徐々に浮かび上がる二人の背景。動物園で出会った二人の過去と「白熊」の意味。やがて不安はピークに達するとひとつの結果として事件を起こす。事実は過去にあり、現在は未だ幻覚の中のよう。

 先日、友人の薦めで購入したドイツの作家カシュニッツの短編集『その昔、N市では』より最初の一篇「白熊」のあらすじである。サスペンスフルな会話と舞台で明暗を表現する旨さに引き込まれた。女の持つ後ろめたさは第三者から見れば既に過去のものであり、正直なところ非難されるような罪ではない。しかしながら彼女は夫の問いかけにそう反応するように未だ過去に縛られている。男の嫉妬はその登場から結末までひどく情念的で見方を変えれば同情するというよりかは醜いものだと感じる。ただ夫婦同士の中には男の卑屈さによって女が拭いきれない疾しさを刺激される構図が出来上がっている。ところが物語は進み終盤になってくるとこの図式が一方の背徳と罪悪によって培われた感情であることが分かる。事実としてその答えが出たにもかかわらず当事者は劇中で表現される水場から上がった「いつまでも左右に首をふる白熊」のようにそれを直視出来ぬまま幻惑していくのである。

 めちゃくちゃいいなと思った。僕自身も会話劇を好んで書いたりする。その中で直接的な表現は避けて意味を読んでくれた人に委ねるといったヤラシイことをするけれど、それ以前に心理を読み解く、その立場を理解しようとすることが好きなのでカシュニッツの「白熊」はまさにそれをさせてくれるのだから愉しくないわけがない。明るいいい話だとか暗いやな話だとかの次元ではなく巧妙な人間心理におぼえる震えのようなものをこうしてカタチにされて参った。こんなのがあと何篇もあるのかと思うと薦めてくれた友人には感謝しかないと思うばかりです。……あ、あけましておめでとうございます。ほんよろ〜。一応までに。