アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

炊飯器と詩集

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 最近の話。炊飯器を買うことになった。ずっとなしでやってきたのだから今更という気もするが話の流れで買ってもいいかなと思うようになった。以前持っていたものはずいぶん古いもので予約も保温も出来なかったため、炊いて残った分はそのままラップに包んで凍らせていた。その間に転職や引っ越しなどを経るうちに生活のリズムも変わって何もかもがめんどくさく感じる期間が続き、ご飯をラップに包んだりするのも億劫で、米を炊くどころか買うこともなくなって、気づけばなんの反応もしなくなった炊飯器だ。それから10年は過ぎたと思う。本当に今更だ。ただまあまたやってもいいかなと随分偉ソーな気分ながらそう思うようになった。

 映画を観に行くことにした。雨の朝である。やめようかとも思った。外に出ても空振ることも多い。それだけ長く住んだ町で飽きつつもある。ただ出た事実も大事かと思い、決めたことをやるのも大事だと思ったのでなくなく出ることにした。靴を下ろした。履き慣れなさと濡れた地面で滑って転びかける。あと思ったより大きい。何食わぬ顔をする自分に笑いそうになる。誰に見られて困るわけでもないのに。カパカパと靴を鳴らしながらまだ時間があったので本屋に寄った。連城三紀彦の短篇を買って映画館の近くのスタバで読んだ。スターバックスのことは大した理由もなくあまり好きじゃないんだが、まだ朝も早く他に開いてる店もないので仕方なく入った。本を読んでいると前の席に小さな女の子を連れた父親が二人きりで座った。女の子にしてみれば椅子が高く一人で座れない。お父さんが座らせてやると女の子はありがとと可愛らしく言った。お姫様のようだと思ったが、私みたいないい歳の人間があまりじろじろと眺めるのも良くないと思い読書に戻った。連城の短篇は「黒い真珠」といって不倫する女と本妻の邂逅で生まれる会話劇のような話だったが二転三転ある中で要所に挟まれる作者の表現にため息が出た。綺麗とも汚いとも言えないただ真っ直ぐに感覚に突き刺さる言葉の感動がある。そこに浸っているとカタンと音が鳴って、音のするほうへ目を遣るとお姫様がコーヒーカップをひっくり返してお父さんが慌てていた。お父さんは怒るでもなく店員さんにタオルを借りて机を拭いたり服を拭いたりしていた。ごめんと言ってニカっと笑うお姫様にお父さんはもう何も言えずに笑い返すしかなかったようだ。

 

 遠方から友人が近くに遊びに来ると聞いた。実際に会ったことはそんなにないというか面と向かって言葉を交わしたのはそれまで一度きりで、それでも友達というのだから不思議な時代だなと思う。付き合いだけで言えば長く一緒の本に載せてもらったりもした。そんな方たちなので生憎仕事中の時間だったがなんとか時間をつくることにした。待ち合わせたのは葉ね文庫の前。近くに住んでいながら一度も訪ねたことがない。町に飽きたとはどの口が言っているのかと思う。初めて入った店内では常連の方なのかわからないが詩(短歌?)の話で盛り上がっている人たちがいて、私には詩情みたいなものがないから何の話だかさっぱりだったものの楽しそうな雰囲気は伝わってきた。部室のような空気感があり、大袈裟な話にはなるが誰かにとってはヨスガのような場所なのだろうと感じた。店内には幾つも短冊が飾られていて、中の一つに「炊飯器になりたい」とあった。なければなればいいのかという気づきがある。存外得たものは大きかった。

 三人でプリンを食べた。アイスはいらないねと話してアイスがないセットを頼んだ。かための美味しいプリンだった。プリン屋を出たあと、せっかくだからと写真を撮ってもらうことにした。通りすがりの方が快く引き受けてくれる。「入れたい景色はありますか?」と画角まで気にしてくれる親切さには失礼ながら噴き出しそうになった。

 二人を見送ってから数日して古本屋で小笠原鳥類の詩集を見つけた。「小笠原鳥類面白いんですよ、課金します」と言って葉ね文庫で数冊、氏の本を買われていた友達の笑った横顔が素敵だったのを思い出し、これも何かの縁だなと思い買って帰ることにした。まだあまり読めていないがお守りとして仕事鞄に入れてある。