アントーニオの肉一ポンド

返却期限を過ぎました。

10年ぶりの東京の話

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 およそ10年ぶりに東京の町へとやってきた。文学フリマってイベントに行くために。成り行きとはいえ決して安かない切符を買うための手はちょっと震えていた。後悔とかはないんですけどね。

 

 新幹線に乗るのも社会人となればなんだかごく普通のことになった。近所に出かける感覚で、車中がゆったりするせいか落ち着きさえある。適当に摘んだ文庫本を開く。三島由紀夫の短篇「岬にての物語」これを読むのは何度目だろうか。初読の印象は三島ってこういうのも書くんだだった。少年の通過儀礼としてある幻想風景、言葉で書けばありがちな話だが描かれた文章は丁寧である。大人びた少年は少年であることを自覚して大人になる。そのための装置は些か突飛であるけれど装飾された舞台は大変美々しい。どこか微睡みを覚えてかちょっと眠ってしまうともう横浜あたりまで来ていた。

 

 着いてみたはいいが実感がない。ほんとに近くのジュンク堂に来た程度の気分だ。雲ひとつない空は少し暑いほどで、人盛りこそあれど駆け足で会場に向かう中、東京らしさみたいなものは感じなかった。

 実のところ、友人がこの文フリで出店していて、どうも心細うにしていたので、などと節介な気持ちでここまで来た。贅沢をしている気分もあった。会場入りまで休憩所のようなところでノートを開いて落書きしているといつのまにかすごい列が出来ていて、この列の先には流行りのラーメン屋でもあるのかと思いながら自分も並んでみることにした。

 

 文学フリマに参加するのは初めてだった。所謂同人即売会。そこに集まる人の思いはそれぞれであるが、私はそんな創作の熱量が幾分停滞する自身を後押ししてくれるのではないかという期待もあった。とりあえずは友人のブースを目指す。しらこい態度で「ちょっと拝見してもいいですか?」と声をかけた。彼は「なんで居るの」と驚く。驚かせようと思ったのも確かだが小っ恥ずかしさから「人違いじゃないですか?」と返した。あまりダラダラ話しても他のお客さんに迷惑をかけてしまうからまた後でと別れて会場をひととおり回ってみる。いろんなアプローチに関心する。大型書店でも様々なジャンルの本は置いてあるがそういうことじゃなくて、では何が違うのかと言われればそれぞれひとつひとつを担う人がその数だけいるというところだろう。であれば作品の向こう側の作り手がすぐそばにあり、熱のこもり方、その感じ取り方が鋭敏になる。この日のために作品を用意し出店している方々、そこに対して良き作品に出会いたいと来場する方々。「本を買いに」来たつもりの自分は先程本屋に来たのとそれほど変わらない気分だと言ったけれど、実際の会場はそれ以上に人対人の世界でここにしかない在り方だと思った。簡単に言えば文化祭的な懐かしさだろうか。それを大人が本気でやってんだということにちょっと感動した。

 

 せっかくなので手伝うことにした。押しかけておいて恩着せがましさ甚だしい私を快く迎えてくれた彼です。売る側の見え方は貴重だった。皆いろんな理由で来店される。作品への興味はもちろんとして、その外側にあるつながりもまたプロモーションとなる。このイベントは普段SNSでしか対話していない人と実際に対面するような場でもある。私はただただ皆実在するんだなと当たり前なことに感動した。来てよかったと感動しっぱなしだった。

 売り上げは本人曰く上々のようだった。もともと儲けド外視とのことだが横で見ている限り得るものは何も金銭だけではないところに良さがあるんだろうと感じた。商業的には綺麗事になるがその不器用さはそのまま温かさだ。そういうことを笑うんじゃなくて大切にしたいと思った。

 

 とんぼ返りの道すがら、書いてもらったひと言を読み直した。そうだなと頷いてみても今だけちょっと眠ることにした。

 

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